2011/08/31

二十日蕪

こいつね、本名は二十日蕪(大根)。















でもね、種蒔いて既に倍の40日は経過してるな。
そりゃね、確かに最初に青虫に全部の葉っぱ食べられちゃったってことはあるにしろ…。
いま抜いたら蕪部分が出来てるかどうかは定かではない。
でも、きっと出来てると思う。

明日の朝抜いてみて、出来てたら朝食に食べてやるわ。
出来てなかったら罰として、そのまま雪が降るまでほっておいてやるし。

でもさ、こんなに二十日大根って難しかったかなって。
そりゃ虫よけのネットをかけなかった私が一番悪いんだよ。
それは認めるから、そろそろ実ってえや(笑)。

2011/08/30

大矢田神社

山頂からの下山ルートは、こんな普通の山道で、私的には好きな感じで気持ちよく下りてこれたよ。

















ただひたすら下りるだけのルートだったけど、意外にも30分で神社の本殿脇に出てきてた。
あっけないくらいだったけど、このルートで登るのはちょっと勘弁ってくらい急だったかもしれないな。

そして、下りてきてしまったから、大矢田神社を少しだけ紹介しておくね。
この天王山一帯は、泰澄大師が開山したとか。当然お寺だったってことなんだけど。


1870年(明治3年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称して極楽坊の社僧・真清氏が神官となる。
護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された。このため神社の中に仏教式の門が残っている。


という由緒正しき神社ってことだね。
これが山門と言うか楼門なんだろうけど。
そりゃ厳かな雰囲気だった。
本殿奥には鏡が置かれてた。
何の意味があるのかわからないけど、立派だったし。
上の奉納の弓矢も立派だしね。
今ここは、ひんここ祭りと紅葉で有名になってて、それなりにおさい銭も集まるだろうから、これだけの社なんかを維持管理できてるんだろうね。
とにかく、歴史と言うか過去に感謝しなきゃ。
それが現生の我々の役目だね。
ここへ30分で下りてこれたのも、汗だくだったから、とにかく生ビールが飲みたいっていう下世話な思いだったのかもしれない。
神社にお礼参りをして、早速武芸川温泉へ車を走らせて行ったわ。
お湯はすべすべだし、ビールは美味しかったしで、とっても満足出来る登山だったわ。

2011/08/29

美濃天王山 2

着いた山頂は、影がなくて暑かった。
でもね、途中の道はこんなところもあって、私的にはとっても好きな感じだった。

















写真を撮らなかったけど、山頂には有志が建てた小屋があって、雨の日にはいい雨宿り場所だなって思ってたんだ。
小屋から少し行ったところが山頂のようで、こんなにぎやかしいプレートが掲げられてたよ。

















537m。
そこそこの山になるよね。
実際ここには、昔城があったらしいんだけど、上ってくる途中では曲輪跡とか、堀切とかあるんだろうけど気付かなかったわ。

でもね、山頂は切り開かれてて、展望は良かったんだよね。




北側の高賀山方面。
真ん中が高賀山か瓢ケ岳かな?


















南側の美濃から関にかけての町並み。
見てもらってわかるるように、少し霞んでるから御岳、乗鞍、北アルプスまでは見れなかったんだよね。

そして、お決まりの三角点(二等)にタッチして。

















少し休んでた。
頂上にいたオジサンが、違うルートを教えてくれたから、そっちから下りようかなって気になって、少し経ってから下り始めたのよ。

でもね、本当に気持ちのいい山頂だったな。
Tシャツは汗が絞れるくらいになってるし、異常なくらいの汗をかいてたけど。
サウナに入ったくらいにね。

ここはいろんなルートがあるようだから、それを一つずつ登ってみるのもいいなっておもったんだわ。
もう一度、間違いなく登る山に出会えた感じ。

2011/08/28

美濃天王山 1

天王山537m

今日は予定もなくて、午前中にばあちゃんとこに行って、帰り道でこの山に登ってきた。
岐阜の金華山同様、この地で山に登るのならここを知らないわけにいかないってくらいの有な山。

紅葉で有名な小矢田神社の本殿脇を登山口として。

















この脇に登山道があるんだわ。





















人様のレポを見る限り、1時間くらいの登山のようで。
ならばその時間に挑戦してやろうじゃないかと思ったんだけど、今日は久しぶりの山登り。
なんで、山歩きの基本のちょこちょこ歩きで登ろうと自分でテーマを決めて登り始めてた。

登山道は美濃市のハイキングコースにしていされてるような、整備された山道だったよ。ファミリーハイク向けって感じでね。

途中こんな滝も見れたからね。






















危ないところと言えば、こんなとこなんだけど、ちゃんとロープが張ってあったし。






















道としては、本当におとなしいいい感じだったよ。





















こんな感じの道をひたすら歩いてたんだけど、そうね50分くらいで山頂に着いたわ。

そこはね、展望はいいし、風が気持ちよかったんだよね。

2011/08/27

慈恩寺

随分前に訪れたとこだけど。
東殿山のあとに、八幡へ食事に出かけた。
八幡で食事って言えば、まずここね。
蕎麦好きの私の楽園のようなところ。

















去年の八幡城のライトアップの時に、ここでお昼を食べたことをこのブログに載せたでしょ。お酒の徳利とお蕎麦でね。
見てない人は探してみて。

そこで家人と息子と食事して。
僕の頼んだのはこれ。

















名前は忘れちゃってるけど、美味しかった。
早速夜にオーナーにメールしておいたもんな。

ここのお店、結構わかりにくいんだけど、この宗祇水の近くまで行けば嫌でも目に付くから。





















そして、その後に訪れたのが慈恩寺。
ここは八幡を治めた遠藤氏の菩提寺でもある。




ここは庭園で有名なんだけど、そこも当然見てきたんだけど、残念ながら撮影禁止ってことで、そこの写真は断念(涙)

ここは臨済宗妙心寺派。
かつて刈安城の住居跡に曹洞宗のお寺があるのが不思議って書いたけど、それはここを訪れてるからなんだよね。


このお寺のいわれが書かれてるけど。
どっちにしても、不思議に思うんだよね。
その当時は、禅宗と真宗だけ別れてればよかったのかな?
僕的には、まったく違うものなんだけど、同じ禅宗とは言え。

誰か教えて!

2011/08/26

ジョブズ氏

NHKのニュースでもやってたけど、Appleの最高経営責任者のジョブズ氏が引退が決まったとか。
これはあまりにも衝撃的な話。
かつてApple社を創設して、20年くらい前までは社長をしていたんだけど、幹部との確執で社を離れてBeOSなる楽しげな(持ってたけどインストールしなかった)なるものを作ったりしてた。

そうそう、この頃かな、Windows95が発表されて口の悪いMac信奉者たちは、それはMac89レベルの低俗なOSだって言ってたくらい。でも世の流れには逆らえずAppleの業績は悪くなる一方で、そんな時に彼が社長に復帰してその経営を立て直して今に至ってる。
PCとはにつかわないかわいらしい初代iMac、そしてあのウォークマンを凌駕したipod、そして世を席捲したiphone、ipadとつぎつぎに発表して、今やアメリカの株価総額でトップの企業に押し上げた手腕。

それを無くしたApple社はどうなっていくんだろう?
一節にはこの先10年の商品の原型は出来上がってるとか、彼自身これからも経営には携わってくとか言われてるから問題はないんだろうけど。
ただ理由が健康状態が優れないってことのようだから、それが心配だね。

Appleの強みは、前はこれが弱みだったんだけど、独自のOSを持ちハードも自社で制作してるから、Win軍団のように、シェアを取りあわなくてもいいって事だよね。

まぁ、しばし静観ってことかな。

2011/08/25

いい感じに…

いい感じに実ってきた、鷹の爪。
これ焼いて食べたら、きっと辛死するな(笑)。
去年だったか、激辛のトウガラシを作って、焼いて丸ごと食べたことがあったけど、かみさんも僕もその場で爆死してたし。
ツヤツヤしたとこが撮りたかったから、わざと夜にフラッシュ当てて撮ってみた。



晴れたら収穫して陰干しして、売られてるように一つ一つを縄にくくり付けて保存しておかなきゃね。
何に使おうかな。
パスタ、チャーハン、擂粉木で擂って一味ね。
いろいろ楽しめそうだな(笑)。

2011/08/24

???

テッポウユリかな、タカサゴユリかな?
そんなところなんだろうけど、どうしてこやつらはこんな辺鄙なところに咲くんだろ。
って、去年もここに載っけたけどね(笑)。
うちの庭先に咲いてるのはいいわいな、ジャマにしやへんし。
でも、こんな石掛のところとか、山際の防護壁のとことかに咲いてるんやって。
















足があるんじゃないから、もともと居たんだろうし、それを人様が勝手に土を削って道を作ったってことなんやろうけど。
だからさ、この花が不憫でたまらんのですわ。

で、今年もそんな風景を目のあたりにしてるんだよね。
頑張りや、気張って来年も咲いてくれよな。

2011/08/23

ガマの穂

一刀斎さんが、昨日ガマの穂の写真をアップしてた。
でも、どうみても私の認識とは離れてる。
ガマってのはな、って思いながら、去年のブログやら写真のデータをあさってみた。
ちゃんとあったよ、2010.8.6の記事にね。

http://dachikanzo.blogspot.com/2010/08/blog-post_06.html


これが本当のガマの穂よ。
一刀斎さんのは、それの亜種かもな。

しかしまぁ、こう毎晩雷雨じゃ困ったもんだわ。
長良川は増水して鮎は散ってしまっただろうし。それより、稲がこのところの雨で水分をしっかりすってるから穂が重くて、雨に叩かれると倒れてしまうやんな。実際、近所の田が一部倒れかけてるから。
お袋がよく言ってたわ、倒れると稲刈りが大変だけど、倒れるくらい穂が実らなきゃ甲斐がないって。
でも、私は立ってて素直に稲刈りが終れることが一番。

今も降ってる。
明日の朝に、田を見るのが怖いな…。

2011/08/22

秋の七草

一昨日だったかな、一刀斎さんがねぶの花をアップしてた。メインはエンドウだけど。
それ見て、そんな季節になったんやなって思って、草刈してて見つけた。















葛の花。
この草って、アメリカとか中国では砂漠地帯の緑化促進のためにわざわざ植えられてた地域があるんだって。
こんなの、ほっておけばいくらでも生えてくるのにね。
だから、今は害草と言われてるんだって。
そりゃね、この根のでんぷん質から葛餅やらくずきりの原料は取れるんだし、人の生活に役立ってはいるけど、農家にしたら迷惑この上ない植物ではあるし。
でもさ、昔の人は、これのどこに風情を感じて秋の七草にしたり俳句で歌ったりしたんだろ?
きっと間違いなく、秋の食の植物だからだな。
食い意地が張ってるんだね、昔の人は(笑)。

2011/08/21

泰澄大師

こう雨だと、何もできないな。
梅雨のような天気。

昨日の説明文にも出てきてるけど、割と耳にする泰澄大師。
越前の出生の僧侶。
7世紀の人物だから、密教なんだろうけど、こんな田舎に住みながら都にまでその名声が伝わるような人物だったようね。
身近なところでは、岐阜と福井の県境にある白山を開山した人物だとか。
そうそう、大日ヶ岳も彼が開山してるよね。
夢で大日如来がでてきたとかで、山頂には大日如来が祀られてるとか。来月には登ってみようと思ってるんだ。
日本古来の神道と密教が融合してる時代だったのかな。この後から白山信仰が盛んになってきて、この郡上界隈も修験者が行き来したんだろう。うちの近くの須原神社もそんな頃に栄えた神社だし、白山の麓の長滝神社もそんな関係じゃなかったかしら。
そんな人が、昨日の六角堂(は室町時代の建造なんだけど)に関わってるなんて、その現れだし。

こういう山岳信仰と言うか自然と融合した考え方がこの時代から盛んになっていって、それをもっと盛んにしたのが空海ってことになるかな。

山名を見てると、釈迦ヶ岳とか大日山とか各地にあるけど、みんなそんな修験道の山だったのかも知れない。

そうそう、高賀山、瓢ヶ岳も白山信仰の流れの信仰の山になるよね。
先日終えられた高賀六社巡りなんてのも、結局はそういうことだから。
宗教と自然とは切り離せないってことだ、きっと。

2011/08/20

美濃 鹿苑寺

今日は鹿苑寺に出かけてみた。
鹿苑寺ってどっかで聞いたことある名だなと思って思いだしてみた。
そうそう、京都の金閣寺が別名鹿苑寺って習ったよなって(笑)。
でも、場所は美濃市立花、昨日の発電所から1.5キロくらい南にあるお寺。

入り口にマイクロバスOKとかかれてるから、よほどの人が上がられるんかなと思って行ったんだけど、意外に簡素で静粛なお寺だった。
山号を廬山という妙心寺派のお寺さんだった。

本堂は、
















てな感じで、新しくて立派だったよ。
でも、境内はあまり広くなくて他に何もない感じだった。
唯一見つけた面白いオブジェがこれ。















何の意味があるのかわからないけど、見る限り瓦の素材で焼かれてるようだった。
本当は美濃市の重文があるんだけど、見ることは出来ないしそのままそこはあとにした。

本来の目的は、国の重文の六角堂を見ることだったんだけど、そんなものは見当たらなくて。
そう言えば、ここから2キロ程上ったところに、鹿苑寺の施設があるような看板を見たことがあるから、北上していった。
県道沿いの空き地に車を停めて看板にしたがって上がってみると、どうやら山へ上がっていく道が見えた。















今日はクリニックへ出かける途中だから登山靴でなくてランニングシューズだし、山道はダメかなと思いながらせっかくだから上り始めた。
100メートルも進むと、















杖が置かれていた。
トレッキングポールは持ってないから借りようかなとも思ったけど、そのまま歩いていった。
それが意外にトレッキングになって、いい感じの山道になっていったのよ。















ね、いい感じの山道でしょ。
そして15分くらい歩いて付いた先がこんなとこ。















何やらおいしそうな建物が建ってるヤンな。
そこへ上がると、ちょっとした広場になっていて、それがポツンとたたずんでた。















これが国の重要文化財の六角堂。
質素でなかなか良い。
それに、周りは結構手がかけられていてきれいだったし。
でも、こんな山の上にどうして重文がって思ったよ。
それに、鹿苑寺との関連がよくわからなかった。

この説明書きによると、















この峠は地蔵峠と言って郡上街道の要所だったようで。
確かに山道は続いてる感じだったから、このまま進もうかなとも思ったくらいだったし。
でも、時間もないしで、それは次の機会に譲ることにした。

いつぞやの高澤観音もそうだったけど、こんな田舎にも重文があるんだってことに、ちょっと驚いたのと、自分の知識不足を嘆くことになったわ。

一度みなさんもどうぞ。

長良川発電所2

昨日の水騒動の話を少し書いておかないとね。


この取水口のある母野地区ととなりの須原地区で江戸の頃水騒動があったそうな。
母野の駅前の谷川から水を両地区とも引いて田を作っていたんだけど、その時の争
いが殺人事件になってしまって。
たぶん母野地区の誰かが須原の誰かを殺害したってことなんだろうけど。
それを収めるために、母野地区から生贄を出すことになって、クジをひいたら地区
の庄屋の甚冶郎という人にあたってしまったようで、彼がはり付けされ須原地区の
住人に竹槍で刺殺され、諍いはおさまったという歴史があるそうな。
だから母野地区を含む木尾地区には、今でも甚冶郎さ法要が営まれている。だけど
、正式な記載は村史にもないそうである。
そのためなんだろうか、木尾地区は須原地区から嫁は絶対にとらないし嫁がせもし
ないという話を昔聞いたことがある。
ま、それだけのことなんだけど、悲しい歴史がそこそこにあるってことだね。

さて気を取り直して。
その先も水は出たり隠れたりを繰り返して、最後はここに流れ着く。
長良川唯一の発電所で、明治の頃に建立されたとか。
確かに、レンガ造りなんてそのものだし、目立つよ。
















そのおかげか、平成12年に登録有形文化財に登録、平成13年には発電所関連施設が登録有形文化財に登録、[2]平成19年度に近代化産業遺産に認定されたんだとか。







よく目にしてるとこなんだけど、こんな価値があるところだとは知らなかった。
外に、建設当時の発電機が展示してあった。




こんなので、発電出来るんだってのが率直な感想。

2011/08/18

長良川発電所

昨日は、どうしても書き込みが出来なくて更新できなかったんだよね。
今日もあまり調子よくないから、レイアウトがおかしいかも知れない。
すいません。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 こういう小規模発電所が、震災の原発の関係で見直されてるんかもね。  これは、うちから川へ下りて行った正面にある取水口。

いまでこそ自動で水門を上げ下げしてるようだけど、昔は人がスイッチを入れたりしてた。 
この取水口の10メートル上流に、渡し舟の船着き場があって、小学生の頃はそこから対岸のわが家へ舟で渡っていた。 見る限りそこへ下りる道は草に覆われて無くなっていたけど、僕にしたら思いで深い場所。  そして、今この堰堤は私の鮎網の漁場でもある。  

 











 
 
ここで取り入れられた水はトンネルを通って下流に流れていって、1キロもいかないうちにこんな沈泥場に出る。



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここは、実は落ち鮎が間違って取水門から入った時に、ここにたまることがあって、地元のおっさん達が、フェンスを乗り越えてここで鮎を引っかけてる。 私も何度か行ってるんだけど、捕れたためしがない(笑)。  

ここを過ぎるとふたたびトンネルに入って、その先で地上に出た風景。










 







実に水量豊かだよね。 ここから田の水を引いてるのかどうか知らないけど、引いてたらふんだんにあるってことになるね。 死人まで出した水騒動が嘘のような感じでね。 ここを過ぎると、再びトンネルの中に入って、そして発電所に流れ込んでいくことになるのよ。

2011/08/16

送り火

13日は迎え火、そして15日は送り火。
ご先祖様をお見送りする風習だよね。

迎え火と同じ河原で日を焚いて送りだす。
その時に、道中の食料の意味で、塩と味噌を葛の葉に包んで、急いで戻る必要もあるとかでナスで馬(といっても、ナスに割りばしで足らしきものを付けただけなんだけど…)を作って、そして15日に仏壇にお供えされてた白米と野菜の煮物とおひたしも一緒に流してる。

















まぁ一種の、川への不法投棄になるんだけど、この時期だけは許されるでしょ(笑)。
それに魚の餌にもなるし何れは土に帰る物ばかりだからいいのかもね。
で、今年は舟と言うか筏のようなものを作って、それに載せて流した。
当然急流に入ればひっくり返るんだけど、こうやって並べて手をあわせて、送り火のお終い。
灯籠流しのような風流な物ではないけど、この地方に伝わる独特の風習だから、これだけは後世に伝えてかなきゃいけないなって思うんだわ。
その土地土地でいろいろあるんだろうけど。
そういうことを考えさせてくれる意味でも、お盆は必要な行事になるよね。

さて、皆さんはどんな風習を受け継いで伝えてくのかな?

2011/08/15

稲の様子

先週だったかに出穂が始まって、今花盛りが過ぎたとこ。
今のところ成育は順調で、あと一月くらいで収穫になる。
















具体的な収穫時期は様子を見てってことになるけど、一日の平均気温の積算が1000度を越えたあたりが目安になる。
だから今だと30度に近いだろうから、33日でその日を迎えることになるね。
少し頭を垂れ始めてきたから、そろそろ防虫用の農薬をふらなきゃいけないな。明後日から仕事になるから、今日、明日にやらないといけないかな。
ちょっと早いんだけど、いっか(笑)。

2011/08/14

お盆

お盆の13日は、このあたりでは迎え火を焚く。
長良川のほとりでね。
昔はゴマ木とかだったんだろうけど、今は稲藁で代用してる。

















こんな感じで。
で15日は同じ場所で送り火を焚く。
岐阜では庭先で迎え火を焚くところもあるとか。

しかし、その場所のすぐ下で、私は網を投げて殺生してるんだけど、毎年のこととは言えバチがあたるかもしれないな(笑)。

















とにかく今年の初物。
この時は3匹と何故かウグイが1匹。
ウグイはリリースしたけど、鮎は子供たちの胃袋に…。
そういう私は、まだ今年鮎を食べていない。

さて、今日も川に立たなきゃな。


城趾シリーズなんだけど、実はまだ2城残っているんだけど、登ってないんだわ。
暑いし他人様の山だしで。
なんで、もう少し先になるかなって思う。
でも、ほとんど満足してるんだけどね(笑)。

2011/08/12

高田関左衛門

ここで目にとまったものがあった。





















誰だろ、この人って。
聞いたこともないし、知るわけないんだけど。

説明書きがあった。

















なにやら、この福野地区へ水を引いた人で、その洞門を掘った現場監督って人だよね。
しかし、ここで城主にここの開発を命じられたってことは、この福野城の城主がそれなりに力を持ってたってことだ。
自領の石高をあげるためにってことだから。
これを読む限り、出口を少しだけ低くするように掘るって、今思えば当たり前のことなんだけど、当時の水準じゃ大変な事だったんだろうね。
まずトンネルが掘れないし、その高さの調整なんて考えも及ばないだろうから。

神社の裏にあったもの。






















何よりも嬉しいのが、今でもその功績を讃えて祭礼をしてるってこと。
とかく先陣の偉業を忘れがちな昨今だからね。
たしかに、この神社の前には今でも田園風景が広がってる。
でも、正直地主は稲作を放棄して全て人に任せてる地区だね。
だから、高田氏も、今は泣いてるかもしれない。
それが農業の現状だけどね。

2011/08/11

掻上城

掻上城、福野城って呼べばいいかな。
中学校の横にある白山神社の裏山が城跡だった。

















数年前に立て替えられてるから、新しいけど立派な神社だったな。
その石垣の脇に看板があった。


















ここも、実際は城跡が国道に分断されてる。
とは言えまずは神社の裏に登りましょってことで、脇道から上がっていった。
最初に曲輪跡のようなところに出たんだけど、そこからはこんな道が合ったからそっちへ行ってみた。

















これだったら、楽に登っていけるねって思ってたんだけど、実際は途中で道が細くなってなくなって、最後は薮漕ぎで無理やり登っていくことになった。
そのまま東へ行くと国道が見えてきて、ちょっと落ちたら大変やなって思いながらひたすら上に薮漕ぎをしていった。





















そして、一つ葉の群集をみながら登るとピークに行きついた。



















ピークは遮断されてるせいか、それほど広くはなかったけど、そこそこで城くらいは建てれそうなかんじだった。

展望もないしつまらないから降り始めたんだけど、道はないし間違えるで散々な目にあったわ(笑)。

国道を挟んだ向う側のピークは、明日にでも。

苅安城、高原城、福野城とまわったことになる。
それぞれに囲まれたところにある小学校を三城小学校と言うんだけど、それはこの3つの城に囲まれてるからそう命名されたと聞いた事がある。
実際その小学校のOBの家人は知らないだろうけど。
果して、地元でも何人が知ってるんだろうか…。