この神社がある那比地区は、郡上一揆の首謀者達の出た里でもある。
実際そんな看板が立てられてた。
籐吉という人がそうで、で宝暦騒動の三鳥羽とも言われている。
そのあたりは、『郡上一揆』という映画に記されてる。
今金森七代記という本を読んでるんだけど、遠藤氏、井上氏に次いで郡上を治めた殿様で、その金森頼錦の時代に、年貢の取り立て方法を変えることにタンを発している。
何を隠そう、私のハンドルネームも、この騒動の首謀者の一人前谷村定次郎(緒方直人が演じた)から拝借してるんですわ(笑)。
でも郡上藩も気骨なとこがあって、戊辰戦争の時に幕府側の有名な白虎隊の援軍として凌霜隊を派遣してる。
ただ倒幕派に遠慮して、全て脱藩者としてってことらしいけどね。
郡上の歴史を紐解くと、どうしても宝暦騒動に行き着くんだけど、先日の東殿山の登山口のある愛宕公園にそんな碑が建ってた。
そんなことから、今金森家歴代記という本を、本棚から出して読んでるんだけど、こんな山国の田舎でも、中央の織豊に巻込まれながら、巧みに生きて来たってことがよくわかるよ。
うちの村の城趾も、郡上の歴史に少しだけ関わってるってことなんだろうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿