2011/08/27

慈恩寺

随分前に訪れたとこだけど。
東殿山のあとに、八幡へ食事に出かけた。
八幡で食事って言えば、まずここね。
蕎麦好きの私の楽園のようなところ。

















去年の八幡城のライトアップの時に、ここでお昼を食べたことをこのブログに載せたでしょ。お酒の徳利とお蕎麦でね。
見てない人は探してみて。

そこで家人と息子と食事して。
僕の頼んだのはこれ。

















名前は忘れちゃってるけど、美味しかった。
早速夜にオーナーにメールしておいたもんな。

ここのお店、結構わかりにくいんだけど、この宗祇水の近くまで行けば嫌でも目に付くから。





















そして、その後に訪れたのが慈恩寺。
ここは八幡を治めた遠藤氏の菩提寺でもある。




ここは庭園で有名なんだけど、そこも当然見てきたんだけど、残念ながら撮影禁止ってことで、そこの写真は断念(涙)

ここは臨済宗妙心寺派。
かつて刈安城の住居跡に曹洞宗のお寺があるのが不思議って書いたけど、それはここを訪れてるからなんだよね。


このお寺のいわれが書かれてるけど。
どっちにしても、不思議に思うんだよね。
その当時は、禅宗と真宗だけ別れてればよかったのかな?
僕的には、まったく違うものなんだけど、同じ禅宗とは言え。

誰か教えて!

4 件のコメント:

  1. 八幡の慈恩寺は、臨済宗中興の祖と仰がれている白隠の禅法を継いだ、隠山(いんざん)の直属の弟子、棠林(とうりん)が、この寺で臨済禅を金森氏の加護の元に、武士たちに広めたため、現在まで続灯しているのですよ。


    隠山といえば、石徹白出身で、六才のとき、洞戸の興徳寺に来て修行。
    梅泉寺二世住職となり、後に、本山妙心寺開山の関山和尚の450年法要の導師を務めるほど、本山で出世。

    光格天皇より紫衣を賜い、天皇より「正灯円照禅師」の名前までもらってます。

    また、岐阜の瑞龍寺や、高富の堅相寺など多くの寺を再建もしています。

    現在の臨済宗の半分以上は、この隠山の禅法を継承していて、臨済宗の中では、白隠に次いでお偉い和尚さんなのです。

    美濃国は、臨済宗にとってはとっても縁の深い土地なんですよ。

    たつくんでした。

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  2. たつくん、久しぶりにコメントありがとう。

    難しい話だな(笑)。
    私は曹洞宗なんで臨済宗のことはよくわからんわ。

    でもね、どっちにしても寺の歴史はすごいってことはわかったよ。
    現に撮影禁止の庭園は、山崩れで消えてなくなったんだけど、それでも復興してるし、その時の天皇さんからのメッセージも残されてたから。
    気になってた寺ではあったわけで。

    でも、どうして遠藤氏でなくて金森氏なんだろうね。
    それが不思議だわ。

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  3. それは、遠藤氏は1600年代後半に、跡継ぎがなく近江国へ国替えになったんだよね。

    江戸時代、臨済宗が武家に定着しだしたのは、白隠、隠山両和尚が出た以降、1700年代になってから、つまりちょうど金森氏の時代になってからということだと思うよ。

    その金森氏も確か二代で改易、その後は青山氏で幕末まで来てしまうのかな。 
    臨済宗は時の権力者に上手く守られてきたのだと思う。

    郡上歴史はなかなか面白い!


    たつくんでした。

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  4. 金森氏ね。
    ここに移った頃の長森は、秀吉に使え結構活躍してるようだね。
    その後がいかんよね、頼錦だったかな、宝暦騒動(郡上一揆)の裏の主役だしで。
    それが元で、お家断絶だし。
    そこで活躍したのが、定次郎さんでね。
    こうやって歴史を紐解いて、たどってくだけでとっても楽しいよね。
    一瞬で消え去った内ヶ谷氏とか、そっち方面だと田口城の長屋氏とか。
    ある意味、血塗られた土地なんかな?

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