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2011/08/30

大矢田神社

山頂からの下山ルートは、こんな普通の山道で、私的には好きな感じで気持ちよく下りてこれたよ。

















ただひたすら下りるだけのルートだったけど、意外にも30分で神社の本殿脇に出てきてた。
あっけないくらいだったけど、このルートで登るのはちょっと勘弁ってくらい急だったかもしれないな。

そして、下りてきてしまったから、大矢田神社を少しだけ紹介しておくね。
この天王山一帯は、泰澄大師が開山したとか。当然お寺だったってことなんだけど。


1870年(明治3年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称して極楽坊の社僧・真清氏が神官となる。
護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された。このため神社の中に仏教式の門が残っている。


という由緒正しき神社ってことだね。
これが山門と言うか楼門なんだろうけど。
そりゃ厳かな雰囲気だった。
本殿奥には鏡が置かれてた。
何の意味があるのかわからないけど、立派だったし。
上の奉納の弓矢も立派だしね。
今ここは、ひんここ祭りと紅葉で有名になってて、それなりにおさい銭も集まるだろうから、これだけの社なんかを維持管理できてるんだろうね。
とにかく、歴史と言うか過去に感謝しなきゃ。
それが現生の我々の役目だね。
ここへ30分で下りてこれたのも、汗だくだったから、とにかく生ビールが飲みたいっていう下世話な思いだったのかもしれない。
神社にお礼参りをして、早速武芸川温泉へ車を走らせて行ったわ。
お湯はすべすべだし、ビールは美味しかったしで、とっても満足出来る登山だったわ。

2011/08/27

慈恩寺

随分前に訪れたとこだけど。
東殿山のあとに、八幡へ食事に出かけた。
八幡で食事って言えば、まずここね。
蕎麦好きの私の楽園のようなところ。

















去年の八幡城のライトアップの時に、ここでお昼を食べたことをこのブログに載せたでしょ。お酒の徳利とお蕎麦でね。
見てない人は探してみて。

そこで家人と息子と食事して。
僕の頼んだのはこれ。

















名前は忘れちゃってるけど、美味しかった。
早速夜にオーナーにメールしておいたもんな。

ここのお店、結構わかりにくいんだけど、この宗祇水の近くまで行けば嫌でも目に付くから。





















そして、その後に訪れたのが慈恩寺。
ここは八幡を治めた遠藤氏の菩提寺でもある。




ここは庭園で有名なんだけど、そこも当然見てきたんだけど、残念ながら撮影禁止ってことで、そこの写真は断念(涙)

ここは臨済宗妙心寺派。
かつて刈安城の住居跡に曹洞宗のお寺があるのが不思議って書いたけど、それはここを訪れてるからなんだよね。


このお寺のいわれが書かれてるけど。
どっちにしても、不思議に思うんだよね。
その当時は、禅宗と真宗だけ別れてればよかったのかな?
僕的には、まったく違うものなんだけど、同じ禅宗とは言え。

誰か教えて!

2011/08/20

美濃 鹿苑寺

今日は鹿苑寺に出かけてみた。
鹿苑寺ってどっかで聞いたことある名だなと思って思いだしてみた。
そうそう、京都の金閣寺が別名鹿苑寺って習ったよなって(笑)。
でも、場所は美濃市立花、昨日の発電所から1.5キロくらい南にあるお寺。

入り口にマイクロバスOKとかかれてるから、よほどの人が上がられるんかなと思って行ったんだけど、意外に簡素で静粛なお寺だった。
山号を廬山という妙心寺派のお寺さんだった。

本堂は、
















てな感じで、新しくて立派だったよ。
でも、境内はあまり広くなくて他に何もない感じだった。
唯一見つけた面白いオブジェがこれ。















何の意味があるのかわからないけど、見る限り瓦の素材で焼かれてるようだった。
本当は美濃市の重文があるんだけど、見ることは出来ないしそのままそこはあとにした。

本来の目的は、国の重文の六角堂を見ることだったんだけど、そんなものは見当たらなくて。
そう言えば、ここから2キロ程上ったところに、鹿苑寺の施設があるような看板を見たことがあるから、北上していった。
県道沿いの空き地に車を停めて看板にしたがって上がってみると、どうやら山へ上がっていく道が見えた。















今日はクリニックへ出かける途中だから登山靴でなくてランニングシューズだし、山道はダメかなと思いながらせっかくだから上り始めた。
100メートルも進むと、















杖が置かれていた。
トレッキングポールは持ってないから借りようかなとも思ったけど、そのまま歩いていった。
それが意外にトレッキングになって、いい感じの山道になっていったのよ。















ね、いい感じの山道でしょ。
そして15分くらい歩いて付いた先がこんなとこ。















何やらおいしそうな建物が建ってるヤンな。
そこへ上がると、ちょっとした広場になっていて、それがポツンとたたずんでた。















これが国の重要文化財の六角堂。
質素でなかなか良い。
それに、周りは結構手がかけられていてきれいだったし。
でも、こんな山の上にどうして重文がって思ったよ。
それに、鹿苑寺との関連がよくわからなかった。

この説明書きによると、















この峠は地蔵峠と言って郡上街道の要所だったようで。
確かに山道は続いてる感じだったから、このまま進もうかなとも思ったくらいだったし。
でも、時間もないしで、それは次の機会に譲ることにした。

いつぞやの高澤観音もそうだったけど、こんな田舎にも重文があるんだってことに、ちょっと驚いたのと、自分の知識不足を嘆くことになったわ。

一度みなさんもどうぞ。

2011/08/06

高賀六社巡り 6

私の六社巡りもいよいよ最後。
昨日までの新宮神社は、ちゃんとナビにも出てたんだよね。
でも、本宮神社はそうじゃなかった。

タラガ谷への県道を走ってると、本宮神社の看板が目に入って、それに従って林道へ入っていった。
その林道と言うのが、全く舗装されてない地道で、本当に普通車で上っていけるのかなと思いながら進んでいった。
途中道で昼寝してるアオダイショウを踏んだりして進んでいった。

















こんなとこを通りながら、ひたすら山に向かって進んでいったんだけど、車は汚れるし、普通車では無理かなと思いながら、行けるとこまでって決めて、4WDにしながら進んでいった。

途中星宮神社への林道の入り繰りをやり過ごして旧道を上っていくと、何もなかった(笑)
けど、道の横に社が見えたからちょっと覗いてみた。

















こんな谷川を渡って、社の横に出るとそこが神社だった。




ちゃんと狛犬は居た。
口は赤く塗られてはなかったし。
拝殿はこんな感じ。




本殿には、立派な杉があった。






樹齢200年は経過してるんだろうな。
社の造りも立派だったし。

そしてそこには、お神酒が供えてあって杯も置かれてたから飲んでもいいのかなって、思わず飲みそうになった(笑)。


と、普通の格式ある神社ではあるけど、新宮神社のように宝物があるとか、句碑があるとかってことはなかったな。
苔むした参道を歩いていくと、石橋があった。


いい感じ。
好きだな、こういう風景。


どうやら、ここが入り口のようで。
でもね、この神社鳥居がないのよ。
灯明立ての塔もないし。
それと社名の書かれた碑もない。不思議なとこだったな。
だから、正直本宮神社かどうかわからないんだけど、間違ってはないでしょ。
でも、藤原高光の話なんて一言もないし、不思議で不思議で。
六社の中で、一番人の手が入ってない神社だったかも。
締めくくりにふさわしいね。
これで私の六社巡りは完結した。
次は、高賀三山巡りを終らせなきゃね。
それはこの秋にはしたいな。

高賀信仰といって、高賀山は白山なんかと同じで仏教の修業の場所だったんだよね。
そして、高賀山(麓に高賀神社、那比新宮神社、本宮神社)、瓢ヶ岳(星宮神社、金峰神社)、今淵ヶ岳(瀧神社)の三山を高賀三山といって、一日でその三山を登り降りて六社に詣りするのが修業とされてたような。
そして近世中期からは「高賀山六社めぐり」という信仰集団が形成され、広い地域にわたって庶民の敬崇を受けたんだって。
だから円空さんも、この土を踏んだんだろうなってそう感じてた。
兵たちの血を吸っている東殿山城も良かったけど、歴史を感じさせる趣のあるこの日の二社もやっぱり良かった。

この時点で三時近くなっていて、城趾巡りする元気もなくしてたから、それは翌日に持ち越そうと家に戻っていったわ。
暑くてビールも飲みたかったし(笑)。

2011/08/04

高賀六社巡り5−2

再び新宮神社。
とっても裕福な神社だから、色んなものがあった。
そうそう、もちろん狛犬もね。


多分岡崎型狛犬って言う種類の物だと思う。
この近辺ではよく見かける姿形。
でもね、ここのって、口が赤く塗られてるんだよね、それが不思議で。
もう一つは、これわざとそれぞれ外向きに置いたんだけど、普通と雌雄の位置が逆のような気がするのよ。

この神社の解説ね。



重文とかがあるってことだから、いかに由緒正しくてそれがもてるくらい裕福な神社だったってことがわかるよね。


境内の中にある碑。
文化財の宝庫、って読めばいいと思うんだけど?

境内の中にも説明文があったけど、読み辛いから載せなかった。
そこには、東常緑が宗祇を連れてきて参拝したとされてた。
東常緑とは、東殿山城の城主東氏の一族で、郡上八幡を治めていて。そして都でも名の知れたそりゃ当時すごい歌人だったようで。
そのあたりはここを見て。



宗祇は宗祇水で聞きなじみがあると思うけど、室町時代の連歌師。
宗祇水も常緑が呼び寄せたことに関連するかも知れないよね。
あと大和町の古今伝授の里も、ここいらに関連するそうで。
その二人が訪れた時の歌がこれだそうで。



教養のない私には、それがどうしたのって感じでしかないけど、城主の東氏にも保護されてたとなるとそりゃ裕福だわな。

あとこんな碑もあったけど、何のこっちゃわからない。



そうそう、猿丸大夫の歌の碑もあったわ。


なんだか、和歌の勉強してるようだったわ(笑)。

そんなとこを見終わってこんな参道を車まで戻っていった。



思わずゾクゾクってするくらい、いい感じだと思わない?

そして最初は気付かなかったんだけど、車の横にこんな看板が立っていた。


これみてると、何やら遊歩道がある感じやん。
これは是非歩かなきゃって思ってしまったよ。
夏の暑い盛りに山に登れない時とか、半日時間が出来た時に、是非散策しようと思ったわ。

一人じゃつまらんから、誰か付き合ってよ。

これで新宮神社はお終い。
そうなったら、六社目になる本宮神社を探さなきゃってことで、それはまた明日。

2011/08/03

高賀六社巡り5

気持ちよく汗かいて東殿山を降りてきて、思いの他時間が経過してるからそのままお昼食べにラーメン屋さんへ。
ここを通る度に気になってたベトコンラーメンの店に行ったんだわ。
若い頃、前の会社の頃は、飲むと間違いなく長良橋北詰のベトコンラーメンの店に行ってたけど、ここは辛いだけ。
体力消耗したからニンニクもいいなってことで、ベトコンラーメンを注文して。
ビール飲みたかったけど、ぐっと我慢して。
そりゃ美味かったよ、ラーメン。
ニンニクも鷹の爪も少ししか入ってなかったけど、スープにコクがあって。

そして食べ終えて向かった先は、城趾巡りでなくて六社巡りの最終回。

まず寄ったのが那比新宮神社。
これはナビにも出るくらいの神社だった。
国道から離れて山道を登ること数分、着いたのはこんな感じの神社。

















見るからに立派な神社だね。
鳥居も新しそうだし。

車止めたとこには、こんな見慣れた看板があったし。





















私にしては五社めの神社。
うん、いい感じ(笑)。

鳥居をくぐると、こんな立派な杉が出迎えてくれた。
そのまま参道をあるくと、社殿が見えてきた。
その裏には、立派な本殿が控えてたし。


ね、立派でしょ、こんな山奥の社にしては。
説明書きにもあったけど、この神社は結構裕福だったそうで、その名残なんだろうね。
そりゃ維持管理も大変だろうけど、それ以上に厳かないい神社だった。

明日に続く…。


2011/04/10

願成寺

今日は山へ登るって昨日言ってたように、午前中単独で高賀山へ登ってきた。
かなり大変だったけど、気持ちよかったし。
でも、明日は間違いなく筋肉痛になりそうな予感(笑)。
その様子は明日にでも。

で、昼過ぎに戻ってその足で一刀斎さんが昨日ブログに書いてた願成寺へ家人を伴って行ってみた。と言うのは、前々からここの桜が咲くのを待っていて、毎日開花情報をチェックしてたのね。そしたら昨日一刀斎さんがそれに触れてるから、また重なって先越されたって正直思ったのよ。でも花の写真がなかったからいいかなって思ってね。それにどうしても見てみたかったから。

お寺さんとしては真言密教の寺院だから、格式はあるんだろうけど大きくもなく。















これが本堂。
で桜というのがこれ。















国の天然記念物。
何でも山桜の亜種で、この桜が新種として認定されてるんだとか。
この桜「中将姫誓願桜」と言われてる。
それには深い物語があって、それが花の前に掲げられていた。
その物語とは、
大化改新に功績のあった藤原鎌足の曾孫に藤原豊成という人があった。豊成はその頃朝廷に使えていた紫の典侍という美しい官女を妻に迎えたが、久しく子供が産まれず、そのために夫婦は長谷寺の観音に参篭して祈願をこめ、そして生まれたのが中将姫である。ところが不幸なことに、姫が5才の時、その母が亡くなったので、父豊成は橘諸房という人の娘である照日前を後妻として迎えた。
 姫は生来、輝くばかりの美貌と才能に恵まれ、9才の時には孝謙天皇の前に召されて、並み居る百官の前で琴を弾いた。天皇は大変感心されて、褒美として玉の簪を賜われた。姫が成長するに従い、和歌や音楽の才能はますます人々の目を見張らせるようになり、15才の時には三位中将の位までいただいた。それ以降、世間ではこの姫のことを中将姫と呼ぶようになった。
 ところが継母の照日前は、こうした姫を次第に憎むようになり、ついには殺そうとまで思い詰めるようになった。その頃、豊成は橘奈良麻呂が起こした反乱に関与したとして、九州に流罪となった。照日前は、この時とばかり、一気に姫を殺そうと計った。しかし、姫はその身の上に同情した一人の家来によって危うく難を逃れたが、更に執拗に迫る追っ手から逃れるために、長谷寺雲雀山など、あちらこちらをさまよい歩いた。
 この時、姫は風の便りに、美濃の国大洞の里の願成寺の噂を耳にした。東大寺大仏建立の折りに、いろいろ霊験があったという話で、特にそのご本尊は、日頃尊信する長谷観音と同じ十一面観世音菩薩 あると聞き、姫はその参詣を思い立って、はるばるこの地を訪れたのである。ところが、長い旅の疲れと折からの冷え込みのために婦人病にかかって苦しみ、な かなか治らないので困り果てた姫は、この寺の観音様に救いを求め、一心に祈った。すると不思議なことに、病気はたちまち快癒してしまった。姫は大層喜び、 境内に一本の桜を植えて、真心を込めて祈った。『桜よ、お前は私に代わって、いつまでもこの観音様をお守りしておくれ。そしてそのご威徳を美しい花で末永く飾っておくれ。』そして観音様に向かい、『観 世音菩薩様、私は今度の病気で、女の身には女しか分からない様々な苦しみがあることを知りました。どうか菩薩のお力で、この桜の花や枝葉を大切に保持する 婦人には、あらゆる女性特有の災厄から守り、安産に、育児に、良縁に、夫婦の生活に、女の幸せをいっぱい与えてやって下さい。』
 このようにして姫は、90日もの長い間、一心に祈り続けた。長い祈りを終えると、姫は大和の当麻寺で織ったのと同じ蓮糸の曼陀羅を一幅織り上げ、それを当山に納めた。この曼陀羅はその後長く寺の宝物として大切にされていたが、どういう訳があったのか、寛正三年に、尾張国飛保(愛知県江南市)の円福寺に飛んでいった。円福寺の方では、東の空から日輪が出ると同時に曼陀羅が飛んできたというので、日輪山曼陀羅寺と称号を改めた。」

どんな桜かと言うと、
















この花が珍しいのは、花弁の数が異様に多いこと。20から30あるんだとか。


ほらね。
でも、きれいだったよ。
写真はほとんど見上げるスタイルで、逆光で面白くなかったけど、珍しいいい物が見れたって喜んで帰ってきたわ。

2011/04/07

武芸八幡神社

御神木の前を通り過ぎてひたすら歩くと、やっと拝殿が見えてきた。
















林のなかにひっそりとたたずんでる。

そして本殿。
周りを塀に囲われて、近づくことも出来ない。

















裏からも。
















これを見た時に、ここは神社だったよなと一瞬考えてた。
















どうみても鐘つき堂だもん。
鐘は当然なかったし。
第一四方ともこんな感じだから、どこから登るのかもわからないもん(笑)。

これで武芸八幡はお終いに。
しかし、信長が保護し森家(森蘭丸の系統)が関わってる神社だけあって、田舎のそれにしては本当に立派な神社だった。
それにやっぱり、それを今も守ろうとする氏子の力が大きいよね。