済法寺跡地を土曜に見た。
それは書いた通りで。
このお寺、案内板によれば醍醐天王の時代の建立で、当時は当然密教寺だね。
岐阜市の文化財に指定されてる木造十一面観音像が祀られてる。
これって木造なんだけど、一節には伊勢の漁師が夜漁をしようとしても、北からのあかりで海が照されて仕事にならなかったんだとか。それで、その元を見つけたってのがこの寺で。それでいつしか山麓に移されたのが今の始まりだとか。
笑ってしまうような話だけど、当時としては普通の話だったのかもしれないね。
それが本当かどうかわからないけど、とにかくこの寺はこの山中を離れて麓に移されたってこと。
無人の寺だったからか、いつしか臨済宗に改宗されて現在に至ってるようだね。
とにかく如来ヶ岳の山中には、跡地のみが残されてるだけだったから。
でもね、この如来ヶ岳の北には、大桑の古城山があって、斉藤氏の最後の居城だから、彼の為には重要な拠点だったのかもしれないよね。
と言う事は、大桑の古城山にも登らないとダメかな?
考えとくわ。
それは書いた通りで。
このお寺、案内板によれば醍醐天王の時代の建立で、当時は当然密教寺だね。
岐阜市の文化財に指定されてる木造十一面観音像が祀られてる。
これって木造なんだけど、一節には伊勢の漁師が夜漁をしようとしても、北からのあかりで海が照されて仕事にならなかったんだとか。それで、その元を見つけたってのがこの寺で。それでいつしか山麓に移されたのが今の始まりだとか。
笑ってしまうような話だけど、当時としては普通の話だったのかもしれないね。
それが本当かどうかわからないけど、とにかくこの寺はこの山中を離れて麓に移されたってこと。
無人の寺だったからか、いつしか臨済宗に改宗されて現在に至ってるようだね。
とにかく如来ヶ岳の山中には、跡地のみが残されてるだけだったから。
でもね、この如来ヶ岳の北には、大桑の古城山があって、斉藤氏の最後の居城だから、彼の為には重要な拠点だったのかもしれないよね。
と言う事は、大桑の古城山にも登らないとダメかな?
考えとくわ。
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