12月7日のここに、亡くなった彼女への訣別の登山のことを書いてる。
そして、今日それを実行した。
あれから、どこか適した山はないかなって探していて見つけたのが古城山。
”古城のふもと 梅山に…”とわが母校の高校の校歌に唄われてる山。
HPをいろいろ潜ってみると、意外や意外、名の通ったトレッキング向きの里山だと。
じゃここがいいやんってことで決めてて、年末で予定がない今日に決めていた。
ところが、急に先週に機械の搬入日に決まってしまって、仕方なく今日は朝から出社した次第で。そして、その帰り道に登ってみた。
美濃の曽代のグランドの駐車場に車を止めて着替えて、そしてトボトボと。
最初はね、
手前の低山が古城山と思ってたんだけど、それが、後ろの標高の高い山が古城山だったようで。歩きながら後悔しきり…。
そして、駐車場横にある、
この案内に従って、懐かしい道路を駐車場を降りていった。
と言うのは、私が昔所属していた美濃市弓道連盟の道場がその先にあるから、もうわからないくらい幾度も通った道だったから。
ここの横を通って、いよいよ山道へ。
いくらお昼前とは言え、まだまだ元気だから、すたこらさっさと、最初は歩いていた。
そして、その登山道の入り口にこんな階段(はしご)が置かれていて、この登山道がいかに整備されているかを表しているようだった。
それは結局、最後まで裏切られることはなかったけど。
つえをつきつき、汗でべとべとになりながら登った先にあったのが。
水抜きのヒューム菅が下世話だけど、この石掛がこの山が城山であったことを物語ってる。
そして中間の展望台に。
200メートルに満たない小倉山を眼下にしながら、西方向を眺めてみた。
次は小倉山に上ってみようっって決めた。
そしてその後、一組の老夫婦のパーティーに出会い挨拶を交わしながらいよいよ頂上に着いた。
山頂に着くと、彼女のために買ってきたビールと、ロウソクと線香を置いて、彼女の冥福を亡くなった京都の方角、つまり西に向かってお参りをした。
僕的には般若心経をお唱えして、ビールを一口含んで、後は彼女に飲んでもらおうと土に蒔いた。
記念に、ここの二等三角点の石柱の写真を撮ってきた。
そしてそのまま逆来たのとは逆の方向へ下山していった。
途中で、
これは東海北陸道。
古城山トンネルあたりかな。
何れにしろ、これで彼女への訣別、になるんかな?
寂しいけど、会える人じゃなかったから、これが精一杯。
何はともあれ、何度もそう言いながら下山したけど。
安らかに眠ってな。
合掌
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