ここってきよみずでら、と読むらしい。
それはいいとして、こんな案内板にが立っていた。
またまた、懐かしい名前が書かれている。
坂上田村麻呂の開基だとか。
でも、その頃から臨済宗ではないわな。
だって、栄西が臨済宗を唱えたのは鎌倉初期。つまり1190年代なんだから。きっと開山当時は密教寺で、後に臨済宗の坊主が引き継いだってことになるんかもな。
この辺は、お友だちで宗教研究家のたつくんに解説を任せようと思う。
そして、お決まりの鐘。
また刻印とかを見てこなかったから、詳細不明。
宿題を残しただけかな、つまりは(笑)。
こんな置物も置かれてて、散策してても楽しかったよ。
お参りも済ませたし、本当にお腹空いたから下りることにした。
途中こんなおじそうさんにも手を合わせて下りていった。
そして、山門の前には趣のある橋が。
渡ったところに、案内板があった。
これだけみてても、いかに由緒あるお寺さんかってことがわかるよね。
しかし、文化財があるにもかかわらず、昨日も書いたようにオープンで。
でも、滝のあたりを見てると、お寺でなくて城にしてもいいような雰囲気があったな。
警備はしやすいと思うもん。
そして山門をくぐってもう一度見てみると、山門の前に花が飾ってあった。
へ〜と思ってよくよく見てみると、ちゃぁんと仏像さんがいてはった。
高澤観音はちゃんと木彫りだったけど、ここのはちょっと違ってた。
右門は、
増頂天 |
左門には、
持国天 |
と二天が納められている。
これは、仏法の帰依者を護るという四天王のうち、持国天、増長天の二天を安置してあるそうで、二天門と呼ばれてるそうな。
この人たちに見送られながら、私は車まで戻り家に帰りました。
もう一度ゆっくりと見てみたいお寺さんでした。
おしまい
宗教研究課かぁ? のたつくんです。
返信削除富加に、国の重文級の仏像があるとは知りませんでした。
開基が坂上田村麻呂とは、珍しいですね。美濃、飛騨辺りで
このくらいの年代になると、泰澄大師が開創に係っているパターンが多いのですが。。
本尊が十一面観音とのこと、脇侍仏が本来なら、毘沙門天と不動明王の場合が殆どですが、ここは毘沙門天と地蔵菩薩、この辺りもちょっと変則的ですね。
現代までこの古い仏像を無事に伝えているということは、このお寺には紆余曲折の歴史があったのでしょうね。
宗教研究家?!の たつくんです。
返信削除富加に、国の重文級の仏像があるとは知りませんでした。
それも開基が坂上田村麻呂とはねぇ・・
美濃や飛騨の神社仏閣で、古い物は、泰澄大師が開創に係って
いる場合が多いけどね。
定次郎さん、こういうネタ好きなので、どんどんアップしてくださいね。
たつくん、コメントありがとうね。
返信削除どうもスパムへ入っていたようで、2つとも。
携帯にはコメントが届くんで読んではいるんだけど。
何で、1つだけスパムから外しておいたわ。
私が不思議に思ったのは、開基より後の宗教派のお寺になることがあるんだなって。
開基当時だと密教になるやんね。
そのあたりがね、わからないんだわ。
荒れ寺に誰かが入ったってことかな、妙心寺派の流浪坊主が。
という私も、先祖をたどれば初代(私は十代目)は流浪坊主だから。
だから、戒名にも院号が使われてて、奥さんは尼だもんな。