7合目で休止したのは正解だった。そこからはこんなザレタ急登だったけど、思ったより足が進んだからね。
もうすぐ8合目かなってところで、隣の尾根に建物が見える。
何だろって思いながら見てみても、そこに行くルートはなさそう。すると案内板があったよ。
これによると、伊吹山の開山者山した三修さん、円空さんたちがこの岩の上で修業したようだね。播隆上人は修業していると麓で悪いことが起きて、ここで修業してるボウズのせいだと村人が降りるように頼みに来たようで。上人は言われるまま降り始めると土砂降りになったんだとか。村人はずぶ濡れ、でも上人の周りだけは雨が降ってなく全く濡れることなく下山して、皆が生き仏と崇めたとか。
役行者も時の天皇が都で病に臥せてるので、降りて祈祷してほしいと懇願され「まだまだ修業の身」と断ったものの使いのものが帰らないので、仕方なく空を飛び都にて祈祷し病を治した、と言われてるそうな。
つまり、そのくらい修験の場とした山だったってことやね。
もうすぐ8合目かなってところで、隣の尾根に建物が見える。
何だろって思いながら見てみても、そこに行くルートはなさそう。すると案内板があったよ。
これによると、伊吹山の開山者山した三修さん、円空さんたちがこの岩の上で修業したようだね。播隆上人は修業していると麓で悪いことが起きて、ここで修業してるボウズのせいだと村人が降りるように頼みに来たようで。上人は言われるまま降り始めると土砂降りになったんだとか。村人はずぶ濡れ、でも上人の周りだけは雨が降ってなく全く濡れることなく下山して、皆が生き仏と崇めたとか。
役行者も時の天皇が都で病に臥せてるので、降りて祈祷してほしいと懇願され「まだまだ修業の身」と断ったものの使いのものが帰らないので、仕方なく空を飛び都にて祈祷し病を治した、と言われてるそうな。
つまり、そのくらい修験の場とした山だったってことやね。
播隆上人のことは知らなかったなぁ。
返信削除この暑い中、下から登る根性に拍手だよね!!
たつくん