2013/10/22

郡上徘徊 3

気になってきたんだよね、八王子神社。
岐阜県神社庁のリストにはないようなんだけど、調べてたら新宮神社の奥殿だとか。その新宮神社の重要文化財のうちの一つに薬師如来像を毛彫りした懸仏があるそうで、なにやらそれは八王子神社に祀られていたものだとか。

奉鋳顕
八王子御正体一面
(やくし)
正嘉元年丁巳十二月十四日
勧進聖人慶西

と書かれているんだとか。
正嘉元年とは1257年、つまり鎌倉時代だね。もう一つすごいのが、岐阜にある懸仏の最古の銘文と類似してるそうな。

それはいいとして、懸仏とか勧進聖人とか、仏さんやんな。こんなところから神社と寺が合祀してたのが伺い知れるね。確かに星宮神社にも粥川寺という寺があって、円空さんはここで得度してるはずだし。
当時の寺だから密教になるでしょ、高賀信仰と密教と密接な関係であったってことかな。
でも、鬼退治をした藤原高光は神のお告げに助けられてきたから高賀六社といわれる神社を建てたんだろうけど。
高賀修験団の全盛期は、鎌倉中期から南北朝時代にかけてなんで、懸仏の年代も納得出来る。
高賀信仰といえども、白山信仰と関係はあるはずだし、当時の山を神と見立ててそれを神仏化していく修験から何が得られたんだろうか…。

な事を考えてると、夕方になってしまうので、私はそのまま峠を下りました。5分も行かないうちに瓢ヶ岳の宮奥コース登山口に着いて。こう考えると、那比新宮と星宮は近いもんだなと思い、そのまま星宮神社の脇を通り、粥川地区を下りていきました。


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