林道を下りてきたところに、神社がある。
何度も前は通ってるんだけど、初めて入ってみた。
八幡神社だそうで、岐阜県神社庁のHPによると、
創祀元禄年間。兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満なる時に於いても一神殿に於いて両集落各々別に祭事を行ふを常とする。何時の頃か識者両集落の将来に思いを致し、神社に対しての争いを防ぐため、極秘裏にご神体を二体とす。明治に至り、制度の定めにより村社となり、保木脇部落は氏子となり、下河和部落は崇敬者となるも、事実は従前と変はりなし。
と書かれていた。
よくわからんけど、神社庁でここの地図を見ると山の中ってことなんだよね。
普通の本殿だけど。
でもこんなのもあるし。
何が祀られてるのかわからなかったけど、山自体を神としているようにとれたよ。
つまりだ、本当の場所は山の中なんだろうけど、それを下に下ろしたってことかなと。
そうすると地図との整合性も合致するしね。
そうだね、この岩壁といい、本当に山を神としてたんだろうなってことが伺われたよ。
これ以上はわからなかったから、わかる人に解説してほしいわ。
何度も前は通ってるんだけど、初めて入ってみた。
八幡神社だそうで、岐阜県神社庁のHPによると、
創祀元禄年間。兼六年間下河和に飢饉あり。土地の一部を保木脇に売る。保木脇之を横持と名付けて鎮守の神として八幡宮を祀る。氏子の為鎮座の地と共に山林四十町歩を保木脇・下河和の入会地とする。両集落の円満なる時に於いても一神殿に於いて両集落各々別に祭事を行ふを常とする。何時の頃か識者両集落の将来に思いを致し、神社に対しての争いを防ぐため、極秘裏にご神体を二体とす。明治に至り、制度の定めにより村社となり、保木脇部落は氏子となり、下河和部落は崇敬者となるも、事実は従前と変はりなし。
と書かれていた。
よくわからんけど、神社庁でここの地図を見ると山の中ってことなんだよね。
普通の本殿だけど。
でもこんなのもあるし。
何が祀られてるのかわからなかったけど、山自体を神としているようにとれたよ。
つまりだ、本当の場所は山の中なんだろうけど、それを下に下ろしたってことかなと。
そうすると地図との整合性も合致するしね。
そうだね、この岩壁といい、本当に山を神としてたんだろうなってことが伺われたよ。
これ以上はわからなかったから、わかる人に解説してほしいわ。
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