円空さんは、美並町瓢ケ岳山麓の木地師の子として生まれたとされる説と、羽島市で私生児として生まれたという説がある。羽島説が有力とされているが、わからない。と言うのは、彼は木食行を行ったため、この修験者たちは生い立ちを語らないために不祥ってことになる。
羽島説では、母親を長良川の洪水で亡くしたとされていて、それが最後の関市池尻での入定と素直に結びつくと言えなくもないが、それであったとして、どうして郡上の粥川寺に出入りするようになったかの説明がつかないような気がする。
当時粥川寺は、瓢ケ岳の修験者の集まりの場所であって、それらに影響を受けたのは間違いない。そして、美並を拠点として全国(と言っても、東日本)を行脚している。美並を拠点としたのは、この近辺の神官家である西神頭家の庇護を受けたからだろう。西頭家は白山を開山した泰澄の弟を祖としていると言われている。つまり白山信仰に傾倒していったと言っても過言ではない。
現在旧美並村には158体の円空物があるとされているが、その一つがうちにあり、県の円空仏としてのアーカイブに残されている。裏にある神社の本地物も円空物だったそうだが、知らないうちに盗まれたそうだ。
円空と言えばその温和な表情が言われるが、初期の作品はそうでもない。飛騨にある宿儺の像なんかは、善と悪の顔を持つとして掘られている。まるで阿吽の像のように。
高賀神社の神の一つである牛頭天王(勝久寺・高山)なんかも、きつい顔してるよね。
ま、また円空さんについては、調べて書くね。
こんなのを読むのはたつくんくらいだけど、参考までに。
円空を旅する
羽島説では、母親を長良川の洪水で亡くしたとされていて、それが最後の関市池尻での入定と素直に結びつくと言えなくもないが、それであったとして、どうして郡上の粥川寺に出入りするようになったかの説明がつかないような気がする。
当時粥川寺は、瓢ケ岳の修験者の集まりの場所であって、それらに影響を受けたのは間違いない。そして、美並を拠点として全国(と言っても、東日本)を行脚している。美並を拠点としたのは、この近辺の神官家である西神頭家の庇護を受けたからだろう。西頭家は白山を開山した泰澄の弟を祖としていると言われている。つまり白山信仰に傾倒していったと言っても過言ではない。
現在旧美並村には158体の円空物があるとされているが、その一つがうちにあり、県の円空仏としてのアーカイブに残されている。裏にある神社の本地物も円空物だったそうだが、知らないうちに盗まれたそうだ。
円空と言えばその温和な表情が言われるが、初期の作品はそうでもない。飛騨にある宿儺の像なんかは、善と悪の顔を持つとして掘られている。まるで阿吽の像のように。
高賀神社の神の一つである牛頭天王(勝久寺・高山)なんかも、きつい顔してるよね。
ま、また円空さんについては、調べて書くね。
こんなのを読むのはたつくんくらいだけど、参考までに。
円空を旅する
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