2014/08/26

石仏巡り2

昨日の石仏は天保5年だとか。180年程前になるね。

で、地元の石仏と言えばここは外せない。うちの裏山に登ること5分で着くんだけど、弘法様と呼ばれてる。


まずは地蔵菩薩さん。穏やかないい表情をされてるね。
元禄11年だって、300年以上ここにいはるんだ。
観音菩薩さん


これは大正。
でもね、アップで撮ってないけど観音さんって表情されてるよ。

そして、弘法様と言われる所以の、


弘法大師さま。これも大正末だとか。
この石仏が代表で弘法様と言われてる。言い伝えによると、ここは男子禁制ってことらしくて、確かに弘法さまのお祭りは女性陣がしてくれてる。
今いつ弘法さまを祀ってるのか記憶がないけど、子供の頃は、この日は下で待ってるとかざられたアズキのオニギリがもらえてね、それが嬉しくて待ってた記憶があるよ。アズキご飯で、赤飯でなくて、オニギリは真ん丸なんだよな。
今は子も少ないし、おばさま方が簡略化して、オニギリはなく、上がってお経を唱えて集会場でおおいに喋って終ってるけど。

しかし、どうして弘法さま?それも大正の時代に。
うちの部落には密教の家はないよ。みな禅宗だし。
でも、円空さんは訪れてるし(うちに円空仏があるから間違いないし)、母野という字名なんだけど、これだって泰澄さんが母親と歩いていて当時原野だったこの地で大きな木の下で一夜を明かしたことがあるそうで、それで母野と呼ばれるようになったはずなんだけど、その関連かな?
そういう言い伝えで地区の住人で石仏を造り祀ってるんかもしれないね。
この弘法さま、庵に入ってられるけど、元々あったそれが請われかけたから、地区のおばさま方(おかんと分家のおばさん、その下のおばさん)の三人が建てたんだよね。大工のおじさんに頼んで。

ま、どっちにしろ、地元のことなのに、知らないことが多いなって思った次第です。
こんなこと知ってるのは、うちの亡くなった親父か分家のおじさんくらいだね。一度聞いてみなきゃ。

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