2014/08/20

篠脇城

ichigoさん おおきに。
今日も生きてますよ、元気だと思うし。
たつくん、私は汗かき。
暑いもん、今も汗かいてご飯食べてたくらいでね(笑)。

さて、雨の中行けなかった篠脇城周辺のことを少し。
案内板にも書かれてたけどね、一部。

この城を築城したのが東氏、元々は下総国千葉氏の氏族で、承久の乱の功でこのあたりを賜ったのが始まりのようで。東氏は文武両道の血筋で一つの逸話として、応仁の乱の際に関東に下向していたため斉藤妙椿に城を奪われてしまった。この時に東常緑が斉藤氏に詠を送ったらそれに感じ入った斉藤氏が奪った領地を全て東氏に返したという。常緑は「古今伝授」を確立した人で、京では名の知れた歌人で、宗祇に『古今集』を講じ古今伝授を引き渡してる。現に那比新宮神社に宗祇を案内したようで、二人の詠が碑になって残っている。


3年前の写真だけど、葉っぱがジャマだね。
そして、今回の案内板の頃、定慶が城主の頃に越前朝倉氏の攻撃を受け三日坂の伝説をうむほどの激戦をして守っている。その時思ったのは、朝倉氏が山側から進軍してるようで、とすると、白鳥から山越えをしてきたんだね。先日登った母袋烏帽子岳のふもと辺りから来たんだろうか。
それはまた調べるとして、その戦で篠脇城はは守りに適してないとして、八幡の赤谷山に城を築いて移り住んだ。赤谷山城と言われるんだけど、今は東殿山城と呼ばれてるね。ここには3年前に登ってる。一説には東(氏の)殿(様の)城だから東殿山城と呼ばれてるとか(笑)。
歴史が繋がると面白い。この城も落城の運命が襲うことになるんだけど、それはまた改めて(もしかしたら、前に少し触れてるかもしれない)。

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