2014/08/28

3の続き

ならば、どうしてここに水神さまを祀ったのか。

ここって、僕の田の脇にあるんだけど、田から川が見えるよ。大水の時は冠水する。
こことはこんな建造物がある。


これは何かって、なかなかわからないかもしれないけど、つり橋の橋脚。
この真ん中に穴があって、そこに柱を立ててつるすという構造なんだよね。

私の生まれた母野地区は、橋がないから向う岸の国道やら国鉄が走ってる地区にはおいそれと行けない。だから、ここから数キロ上流の下田地区の国道にかかる橋を移築するってことになってた。
工事は順調に進んで、橋に板が置かれて歩けるようになった。その頃を待つかのように地区の悪ガキどもが橋に乗ってゆすったりして遊んでたそうな。時はまだまだ戦時中、昭和12年頃だと思う。
そんなことをするもんだから、まだ完成してない橋は絶え切れず落ちた!当然橋の上の悪ガキ共も落ちる。その時に、頭を数センチ切った怪我をしたのが、今は亡きわが父親だったそうで、頭にその時の傷跡があった、見せられたことあるから。
そして住民待望の橋はそのまま撤去され以後30年ほどうちの地区は橋が造られないでいた。そして、この橋の架かってる所に、渡し舟を渡して唯一の交通としてた。だからこの下を今でも船渡だとか船着き場とか言ってる。その渡船の安全を祈願してここに水神さまを祀ったってことだね。


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