2015/01/06

清泰寺3

金森権現さんを後にして、庫裏へ向かいます。


まぁ立派だこと。
書によれば天保年間に建てられた物だそうで、築200年ってことか。屋根の上の屋根が面白いし、妻飾りも凝ってるね。
そして、庫裏の切り妻の下には、


これ、楮を煮る煮熟釜なんだそうで、紙漉職人が寄贈したとか。
と言うのは、ここを菩提寺としてる金森長近が紙漉を保護したおかげで、この美濃地区にそれが栄えたからだとか。そしてそれは、今でも受け継がれていて、和紙のおかげで美濃の町は栄えて続いてきたってことだからね。
長近の功績は大きいね。

本堂を写してないんだよな。
何やら読経してたから、音をたてないように静かに裏に回ります。

そこには、



長近の前の鉈尾山城主佐藤氏の墓があったよ。

この清泰寺ってのは、佐藤氏の菩提寺である以安寺を廃して清泰寺としたそうだから、両家の菩提寺ということになるんだよね。
だから、本堂には佐藤氏、金森氏の代々の位牌が祀られてるそうな。

2 件のコメント:

  1. 庫裏の屋根のそり具合が、何とも寺院建築らしくていいよね。
    それに、青空に薄ら雪化粧で、気持ちのいい画像!

    佐藤、金森両氏の菩提寺とは、とっても日本らしいね。
    前者の菩提もしっかり弔って、疎かにしない当たりは、怨霊信仰その物の
    あらわれだと思うな。

    たつくん

    返信削除
  2. たつくん おおきに。
    でも、怨霊信仰なんて初めて聞いたよ、意味はわかった。

    佐藤氏は金森氏に滅ぼされたんでないし、西軍に属したからってことだから直接恨みをかうことはないよな。
    清泰寺は佐藤氏の菩提寺を廃して建立されたから、って理解してる。

    それだけの人物だったってことかもしれないね、金森氏は。
    佐藤氏の住居と街は今の美濃病院あたりの田の所らしいから、隠居場の小倉山城の城下に集約したんだろうね。だから野面積の塀があるんだろうし。
    でもさ、面白いね、歴史って。

    返信削除