2015/03/25

篠原無然

昨日の無然平というところで石仏には会えなかったけど、篠原無然について。

飛騨地方で活動した教育者。
兵庫県二方郡西浜村(現 美方郡新温泉町)諸寄(もろよせ)出身。早稲田大学中退。社会教育の先駆者。1914年(大正3年)11月、岐阜県飛騨地方の吉城郡上宝村(現 高山市)にあった上宝村第一小学校(現 高山市立本郷小学校)の代用教員となり、以降飛騨を中心に青年の教育や工女の待遇改善などに尽力。地元の青年たちと乗鞍岳登山道を整備した。乗鞍岳の姫ケ原・土俵ケ原や桔梗ケ原などの命名者としても知られる。雪の安房峠で遭難し、36年の生涯を閉じた。
という人物(ウィキより)。
3年前にもここに書いてるから、あれなんだけど、地元に尽くしたんだけど、身の回りの世話をしてくれてた女性が自殺してしまった(妊娠していたとも)もんだから、彼がはらませたという風評を受け一時関西に戻っていた。で、思い直して(というかこの地が気に入ってたんだろうけど)、平湯に戻っていった。そして、吹雪の中安房峠を越えている最中に遠くに見える平湯の明かりを見ながら命尽きてしまったんだとか。
神岡町出身の作家江夏美好(一九二三-一九八二)の代表作「雪の碑」も、そうした遭難者のひとりで飛騨の社会教育に尽くした篠原無然に焦点を当てた長篇小説のようで、そこには、無然の遭難の報を受けた平湯の人達が夜にあるにも関わらず、彼の救助活動を行ったと記されているようで、そのくらい平湯の人達にはなくてはならないじんぶつだったんだろう。だから、今は無然記念館を建てているくらいで、これは見てこれなかったんだよな。
だから今回は見たかったんだよね。

3年前の写真。



無雪状態では、



この碑すら見えなかったし。

ここは、無然が生前庵を建て、そこで瞑想してたと言われてる場所で、篤志家がここに自費で石像を立てられたそうで。
そのくらいの人物だったってことだね。

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