昨日書いたけど、表示されなかった部分。
僧泰澄、養老2年(718)産土神の宮に白山神社を鎮斎する。後佐良早松神社を勧請して、佐羅早松神社と改称する。この地は白山街道(郡上街道)が長良川右岸から左岸に渡ったところ、白山街道の喉口であり、参拝者の修業場であり休憩場であった。石川縣石川郡吉野村字佐良の佐良早松神社は、白山7社の内、中宮3社の一社である。この宮は円融天皇の天元5年(982)の創祀である。壮大な社有地を有し、多くの僧兵を抱えて強権を発揮した。剣神社・白山神社・早松神社の三社の神輿は上洛して盛大を極めた。
つまり、相当な力を持ってたってことだよね。川を渡ったところには須原神社っていう、また由緒正しい立派な神社もあるのに、何故か不思議な感じ。
見たとおり、それほど大きな神社じゃないのよ。
でも、歴史はある。
上にも書いたように、白山街道の喉口ってことだから、人の行き来はあったんだろう。
だから、ここのちょっと山側には、郡上街道の黒地峠というところがあるようで。
ここは、近いうち歩いてみてレポする予定。
神社と言えば狛犬。
普通このあたりで見られる昭和岡崎の類だと思う。
僧泰澄、養老2年(718)産土神の宮に白山神社を鎮斎する。後佐良早松神社を勧請して、佐羅早松神社と改称する。この地は白山街道(郡上街道)が長良川右岸から左岸に渡ったところ、白山街道の喉口であり、参拝者の修業場であり休憩場であった。石川縣石川郡吉野村字佐良の佐良早松神社は、白山7社の内、中宮3社の一社である。この宮は円融天皇の天元5年(982)の創祀である。壮大な社有地を有し、多くの僧兵を抱えて強権を発揮した。剣神社・白山神社・早松神社の三社の神輿は上洛して盛大を極めた。
つまり、相当な力を持ってたってことだよね。川を渡ったところには須原神社っていう、また由緒正しい立派な神社もあるのに、何故か不思議な感じ。
見たとおり、それほど大きな神社じゃないのよ。
でも、歴史はある。
上にも書いたように、白山街道の喉口ってことだから、人の行き来はあったんだろう。
だから、ここのちょっと山側には、郡上街道の黒地峠というところがあるようで。
ここは、近いうち歩いてみてレポする予定。
神社と言えば狛犬。
普通このあたりで見られる昭和岡崎の類だと思う。
正面から見ると小さいけど、拝殿あたりはそこそこのスペースがあった。
そりゃ神楽の奉納するくらいだから、当たり前か…。
これが本殿だね。
2神が祀られてるってことか。
意外に立派でしょ。