この歌は正直、我々の世代とはちょっとかけ離れてる。
60年安保の安田講堂事件の頃かなと。
加藤登紀子が獄中結婚したのがこの象徴かもな。
そうなってくると思い出すのが、高校の時に勧められて読んだ「二十歳の原点」。
『ウンチのついたパンツと一緒にハンカチを洗う無神経さがたまらなく絶えられない』と、コインランドリーのドラムを眺めながら高野悦子さんは書いてたな。
僕も何度も通った京都の荒神口の喫茶店から世間を眺めてた悦子さん。そして、それが本当の姿だと気付いた彼女は、明け方の山陰線の貨物列車に飛び込んで肉片に朽ち果てた。
ただそれだけのこと。
それが60年安保なのかもしれない。
もう一度本を読んで映画を見直さなきゃいけないかもね。
二度と振り返りたくな事実なだけでね。
ビックリした。
返信削除偶然ってあるんやね。
昨日この歌を何年ぶりか思い出せないほど久し振りに、聴きたくなってYoutubeで引っ張り出して聴きましたがね。
但し、な~んにも難しいことは考えていなかったけどね。。。
ま、ただ単純にこの歌が聴きたくなっただけの話と、この歌をきっかけに繰り広げられる今日の内容とは月とスッポンポンほど違うね。
失礼致しました。。。