その休んだ曲輪跡には、こんな祠が建てられてた。
そしてその横には、石碑が。
どうやら、この大桑城主の、土岐頼芸を祀ったもののようだった。
文字が読み取れないから内容はわからなかったけど。
昨日の看板にもあったように、この山城は国取り物語の舞台の一つってことのようで。
なんでもこの頼芸という城主は、守護職土岐家の次男坊だったそうで。
父親は長男でなく彼に家督を譲ろうとかんがえてたようだけど、それ以上に彼を後ろから支えたのが、後の斉藤道三。
どうして頼芸がこんな田舎に居城を構えたのかわからないんだけど、岐阜城から鷺山城へ移って、ここまで追いやられたってことかもしれないね。
でもまぁ、知っての通り道三の野望の前に、この城で城攻めにあって頼芸は遠くへ逃れていって、道三が美濃の守護職に就いたってことが国取り物語だよね。
後で知ったことだけど、この祠の後ろが山頂ってことのよう。
でも、そのまま登山道を歩いていくと、こんなオモチャのような建物があった。
大桑城のミニチュアの復元モデル。
なんでも、地元の有志が自ら建てた物だとか。
遠目には立派に見えるけど、高さが3メートルもないくらいだし、近くで見るとやっぱりミニチュアだったわ。
このお城の後ろを登っていくと、やっと古城山山頂に着いた。
美濃の古城山より30メートルくらい低いかな。
そして、そこにはお決まりの三角点(二等)があったから、タッチしておいた。
そして、この山はしばらく人が入ってなかったんだろうね。
道中クモの巣が多くて閉口してた。
下で笹を1本失敬して、裏山に登る時のようにクモの巣払いをしながらのぼったんだけど、山頂ではとうとうちまきのようになってしまってた(笑)。
でもね、展望のない山頂だったのが残念だった。
唯一見えたのが北方面。
つまり、高賀山方面。
霞んだ山頂の一番高いのが高賀山かな。
そして南方面は。
そしてその横には、石碑が。
どうやら、この大桑城主の、土岐頼芸を祀ったもののようだった。
文字が読み取れないから内容はわからなかったけど。
昨日の看板にもあったように、この山城は国取り物語の舞台の一つってことのようで。
なんでもこの頼芸という城主は、守護職土岐家の次男坊だったそうで。
父親は長男でなく彼に家督を譲ろうとかんがえてたようだけど、それ以上に彼を後ろから支えたのが、後の斉藤道三。
どうして頼芸がこんな田舎に居城を構えたのかわからないんだけど、岐阜城から鷺山城へ移って、ここまで追いやられたってことかもしれないね。
でもまぁ、知っての通り道三の野望の前に、この城で城攻めにあって頼芸は遠くへ逃れていって、道三が美濃の守護職に就いたってことが国取り物語だよね。
後で知ったことだけど、この祠の後ろが山頂ってことのよう。
でも、そのまま登山道を歩いていくと、こんなオモチャのような建物があった。
大桑城のミニチュアの復元モデル。
なんでも、地元の有志が自ら建てた物だとか。
遠目には立派に見えるけど、高さが3メートルもないくらいだし、近くで見るとやっぱりミニチュアだったわ。
このお城の後ろを登っていくと、やっと古城山山頂に着いた。
美濃の古城山より30メートルくらい低いかな。
そして、そこにはお決まりの三角点(二等)があったから、タッチしておいた。
そして、この山はしばらく人が入ってなかったんだろうね。
道中クモの巣が多くて閉口してた。
下で笹を1本失敬して、裏山に登る時のようにクモの巣払いをしながらのぼったんだけど、山頂ではとうとうちまきのようになってしまってた(笑)。
でもね、展望のない山頂だったのが残念だった。
唯一見えたのが北方面。
つまり、高賀山方面。
霞んだ山頂の一番高いのが高賀山かな。
そして南方面は。
いつも行くゴルフ場が見えたわ。
どこかに金華山もあるはずなんだけど、よくわからなかったな。
こうして写真を撮って山頂を後にしたんだけど、登り50分、下り30分の、気持ちのいいトレーニングになったわ。
でもね、下りる最中に、足下の下方面で、四つ足の動物が走り去る音を聞いたから、ちょっと気持ち悪かったし。
何がいいって、誰にも山で会わなかったことかも知れないな(笑)。
ん~~~、面白い!
返信削除実に面白い。。。
近くにありながら全然知らない歴史が山の中に隠されているなんて、まるで宝探しだね。
昨日の国盗り物語のプロローグを読んで、斎藤道三の話が聞けるかもって楽しみにしてた。
やっぱ期待通りだったよ。
ありがとね。