猿虎蛇と言っても、誰もわからんよな。
たつくんくらいだね。
1週間洞戸触れあいセンターでそれに関する展示がされてるって新聞に書かれてたから行ってきた。27日にね。
この絵どこかで見たよなって思ってたんだけど、思いだせない。
きっと高賀神社の宝物殿で見たんだと思うんだけど?
リメイク版。
こっちの猿の顔っていったらマンガチックだよね。
上の本物はまだ怒ってる。かわりに蛇が疲れてるかな?
展示自体は無料でロビーってこともあって、新たな発見はなかったね。でも瓢の池の草むらは収穫だな。
この鬼退治伝承の洞戸の主役は、菅谷の矢作神社かもしれない。
たつくんの家のそばだよね?
この砥石、いかにも磨けそうだったよ。
これがその辺に転がってるとしたら、すごいよね。
美並の鬼退治は具体的な姿の伝承はないみたいだね。
星宮にも、新宮にも、鬼の姿をしたものは何もないからね。
山一つ越えるだけで変ってしまうのか、洞戸がそもそものメインステージだったのかもしれないね。
たつくんくらいだね。
1週間洞戸触れあいセンターでそれに関する展示がされてるって新聞に書かれてたから行ってきた。27日にね。
この絵どこかで見たよなって思ってたんだけど、思いだせない。
きっと高賀神社の宝物殿で見たんだと思うんだけど?
リメイク版。
上の本物はまだ怒ってる。かわりに蛇が疲れてるかな?
展示自体は無料でロビーってこともあって、新たな発見はなかったね。でも瓢の池の草むらは収穫だな。
この鬼退治伝承の洞戸の主役は、菅谷の矢作神社かもしれない。
たつくんの家のそばだよね?
この砥石、いかにも磨けそうだったよ。
これがその辺に転がってるとしたら、すごいよね。
美並の鬼退治は具体的な姿の伝承はないみたいだね。
星宮にも、新宮にも、鬼の姿をしたものは何もないからね。
山一つ越えるだけで変ってしまうのか、洞戸がそもそものメインステージだったのかもしれないね。
そのリメイクした絵は、元の画とは随分違ってしまったようで、高賀神社の絵をそのまま真似してしまったようで、ちょっと残念。
返信削除画像の砥石は、旧美山町との境付近に沢山出ます!
矢を作ってご神体とした社もあるので、洞戸には、本当に「魔物」が居たのかも・・
郡上の星宮や新宮神社は、白山信仰や、後に熊野信仰の影響が強いんだろうね。
たつくん
「高賀山の魔物退治」だったら、
返信削除「美濃と飛騨のむかし話」(第2部)に
載っているから、全生徒が買わされた美濃小出身者なら
みんな知ってるハズだよ。
覚えてりゃね。。。
元の画って、杉板に書かれたのかな?わからないけど、リメイクは画材だからよけいに綺麗過ぎるね。
返信削除魔物がいたっていうより、新宮神社には刺股が沢山奉納されてるから、関連があるかしら?あれで魔物を捕らえれるとは思えないんだけどな…。
高賀山の鬼退治は知られてるけど、それが猿虎蛇とは結びつかないだろうな、って思うのよ。高賀神社にこの画のような像があるから、神社行った人は見てるかもしれないね。
確かに、魔物退治と猿虎蛇とを結び付けるのは、ちょっと疑問が残るね。
返信削除多分、江戸時代にただの魔物退治ではイメージが湧かないので、「鵺退治」なら全国区ということから、鵺≒猿虎蛇
と名を変えて、万民に広めたとも考えられるけど。
その発案者が、円空さんという説もあるよ。
たつくん
え~・・・
返信削除くどいようでごめんよ。
あのさ、「高賀山の魔物退治」のタイトルの文中に、
「顔はサル、体はトラ、尾は大蛇」って書いてあったと思うんだけど?
だから美濃と飛騨のむかし話を読んでいる人は、
高賀山に出たのは鬼やぬえじゃなくて
猿虎蛇だと思い込んでるよ。
オラ、とんでもないすっとぼけた話してんのかな???
一刀斎さん・・お久ぶりで、 高賀宮記録には、猿虎蛇という文字は出てこなくて、「牛のような角の生えた大鬼」と、「雉のような鳴き声を発する大鳥」とあります。
返信削除つまり、魔物が、高賀山山麓に二度にわたって住み付き、それを高光公が退治した、と言う物語なんですよ。
昔話も、長い年月の間には、随分と変わって伝えられて来たという事だと思います。 ただ、一つ真実があるとするなら、その昔、この地で人間同士の醜い争いがあったことは確かなのでしょうね。
多分、渡来系先住民と藤原氏との争いだと思うのですが・・ たつくん