2011/08/10

鶴尾山城

鶴尾城、刈安城、林廣院城とも言われる。
昨日の丸山砦の説明看板にもあったように、ここは遠藤数盛が築いた城になる。
当時の遠藤氏は、まだまだ篠脇城から東殿山城へ移ってきた東氏の家臣でしかなかった。姻戚関係ではあったようだけど。
ただ、当時はあまりいい関係ではなかったよう。
前にも写真をアップしたように、東殿山の眼下の八幡山に遠藤胤縁が八幡城を築いて対峙しているような感じになっていた。
一方の東氏は常堯が当主であって、彼は粗雑な乱暴者で名が通っていたようで、その彼が遠藤氏の娘を嫁にと言う申し出を胤縁は嫌い娘を違うところへ嫁がせたりしていた。
それを良く思わない常堯は、ある席の帰りに胤縁を暗殺してしまった。それを知り怒った弟の数盛は、鶴尾山城を出て、反東氏勢力をまとめあげて東殿山の常堯を襲い父親を殺害し常堯は内ヶ谷氏を頼って落ち延びたそうな。
典型的な下克上だよね。

その鶴尾山城の元々は住屋であったとされるのが林廣院だとか。

















ここの裏山に何かないかんと、こんな道(堀切跡)を登ってみたけど…。

















何もなく、道も無くなっていった。
それでもと思い、駐車場脇の道を登っていくと、その中腹に公園のような広場があった。

















この広場は、馬止め跡だとか。
そこの奥に説明書きがあった。

















そうなんよ、ちょうど鶴尾山の中心を高速道路が走ってて、城跡も何もかもなくなってるんだわ。
このせいだったのかも、林廣院が高速道路建設で猛反対をして、そのごたごたがいやになって、檀家が数十件も離脱したことがあったんだよね。結局最後は、海部元首相だったかが仲介にはいって収めたとか。
その脇にハイキングコースがあった。
















歩いてみたけど、最後は高速道路を渡って反対側の山に登るようだったけど、草むらでとっても歩く気にならなかったからそこでやめてしまった。

しかし、人間の都合だけでこういう遺構を簡単に無くしてしまうんだから、ちょっと悲しかったな。
とにかく、この城がこのあたりの中心で、それなりに立派だったってことは想像出来た。

東氏が滅んだあと、ここの城主遠藤数盛が八幡城に入って郡上藩を治めていったらしい。この城には粥川氏が入ったそうな。

2011/08/08

丸山砦趾

深戸城に続いて、丸山砦趾。
今や村のシンボルとなってるまんまん中センターの脇の小山にある。
登山口には、こんな表示が。





















そして、同じく草の中に説明板が設置されてる。

















今日明日で書くべきことが全て網羅されてる。
そして、健脚コースの登山道を登っていった。





































ここは以前、子供がスポ少のサッカーやってる時の練習グランド脇だから、登ったこともあった。当時は少年たちがアップと称してこの坂道を走って登ってたけど、私は10分もかかってしまった(笑)。
頂上の広場は書かれているように広くなく、そこには今は展望代が設置されてた。





















ここに登って見た西側の風景。




















正面右の小山が高原城のある山、左が下田城の山、そして左手前の左奥の山が鶴尾山、鶴尾山城がある。
こうしてみると、ここは城でなく砦。確かに北に目をやれば郡上街道の北側がしっかり見渡せるし、ここからノロシをあげればたちまち周りの山には伝達出来る。
だから、それなりに重要な役割のある砦だったんだろうと推測出来る。
明日の鶴尾山城の時に書くし看板にも書かれてるけど、こんな山奥にも下克上に近い勢力争いがあって、この砦はその際の重要な軍事拠点だったってことになるよね。

2011/08/07

深戸城

美並の城趾巡りの始まり。
まずは北から。
美並の最北端の地区が深戸。ここに城跡があったんだと。
深戸城。

時の郡上城主、東常慶が東殿山に城を作った時に、家臣の餌取弾正(えとりだんじょう)がこの地に城を築いたのが始まりだとか。

156号線より、深戸地区に入り梅原地区へ向かう道筋にあった。
分かりにくいんだけど、





















という看板が入り口にあった。
そして、

















その脇の踏み跡の薄いところを登って行くようだった。
個人の土地なんだろうなって思いながら上がっていったけど、うちの裏山の道と変らんヤンな(笑)。

そして、10分もしないうちに頂上へ着いた。





そこには土塁と思われる高台はあったけど、石積みがあるわけでないし、知らなきゃ単なる山でしかなかった。

それはわかってたんだけど、それにしてもつまんないなと思い、違う道を降りていった。
そしたら、途中から道が無くなって、薮漕ぎ状態で見える道路を目指して降りるだけだった。
頂上はそこそこの広さがあったから、城は建てられるだろうけど、郡上街道からは少し離れてるし、それほどの軍事拠点とは思えなかったな…。


2011/08/06

郡上義民

この神社がある那比地区は、郡上一揆の首謀者達の出た里でもある。
実際そんな看板が立てられてた。
籐吉という人がそうで、で宝暦騒動の三鳥羽とも言われている。
そのあたりは、『郡上一揆』という映画に記されてる。


今金森七代記という本を読んでるんだけど、遠藤氏、井上氏に次いで郡上を治めた殿様で、その金森頼錦の時代に、年貢の取り立て方法を変えることにタンを発している。
何を隠そう、私のハンドルネームも、この騒動の首謀者の一人前谷村定次郎(緒方直人が演じた)から拝借してるんですわ(笑)。


でも郡上藩も気骨なとこがあって、戊辰戦争の時に幕府側の有名な白虎隊の援軍として凌霜隊を派遣してる。
ただ倒幕派に遠慮して、全て脱藩者としてってことらしいけどね。


郡上の歴史を紐解くと、どうしても宝暦騒動に行き着くんだけど、先日の東殿山の登山口のある愛宕公園にそんな碑が建ってた。









そんなことから、今金森家歴代記という本を、本棚から出して読んでるんだけど、こんな山国の田舎でも、中央の織豊に巻込まれながら、巧みに生きて来たってことがよくわかるよ。


うちの村の城趾も、郡上の歴史に少しだけ関わってるってことなんだろうね。

高賀六社巡り 6

私の六社巡りもいよいよ最後。
昨日までの新宮神社は、ちゃんとナビにも出てたんだよね。
でも、本宮神社はそうじゃなかった。

タラガ谷への県道を走ってると、本宮神社の看板が目に入って、それに従って林道へ入っていった。
その林道と言うのが、全く舗装されてない地道で、本当に普通車で上っていけるのかなと思いながら進んでいった。
途中道で昼寝してるアオダイショウを踏んだりして進んでいった。

















こんなとこを通りながら、ひたすら山に向かって進んでいったんだけど、車は汚れるし、普通車では無理かなと思いながら、行けるとこまでって決めて、4WDにしながら進んでいった。

途中星宮神社への林道の入り繰りをやり過ごして旧道を上っていくと、何もなかった(笑)
けど、道の横に社が見えたからちょっと覗いてみた。

















こんな谷川を渡って、社の横に出るとそこが神社だった。




ちゃんと狛犬は居た。
口は赤く塗られてはなかったし。
拝殿はこんな感じ。




本殿には、立派な杉があった。






樹齢200年は経過してるんだろうな。
社の造りも立派だったし。

そしてそこには、お神酒が供えてあって杯も置かれてたから飲んでもいいのかなって、思わず飲みそうになった(笑)。


と、普通の格式ある神社ではあるけど、新宮神社のように宝物があるとか、句碑があるとかってことはなかったな。
苔むした参道を歩いていくと、石橋があった。


いい感じ。
好きだな、こういう風景。


どうやら、ここが入り口のようで。
でもね、この神社鳥居がないのよ。
灯明立ての塔もないし。
それと社名の書かれた碑もない。不思議なとこだったな。
だから、正直本宮神社かどうかわからないんだけど、間違ってはないでしょ。
でも、藤原高光の話なんて一言もないし、不思議で不思議で。
六社の中で、一番人の手が入ってない神社だったかも。
締めくくりにふさわしいね。
これで私の六社巡りは完結した。
次は、高賀三山巡りを終らせなきゃね。
それはこの秋にはしたいな。

高賀信仰といって、高賀山は白山なんかと同じで仏教の修業の場所だったんだよね。
そして、高賀山(麓に高賀神社、那比新宮神社、本宮神社)、瓢ヶ岳(星宮神社、金峰神社)、今淵ヶ岳(瀧神社)の三山を高賀三山といって、一日でその三山を登り降りて六社に詣りするのが修業とされてたような。
そして近世中期からは「高賀山六社めぐり」という信仰集団が形成され、広い地域にわたって庶民の敬崇を受けたんだって。
だから円空さんも、この土を踏んだんだろうなってそう感じてた。
兵たちの血を吸っている東殿山城も良かったけど、歴史を感じさせる趣のあるこの日の二社もやっぱり良かった。

この時点で三時近くなっていて、城趾巡りする元気もなくしてたから、それは翌日に持ち越そうと家に戻っていったわ。
暑くてビールも飲みたかったし(笑)。

2011/08/04

高賀六社巡り5−2

再び新宮神社。
とっても裕福な神社だから、色んなものがあった。
そうそう、もちろん狛犬もね。


多分岡崎型狛犬って言う種類の物だと思う。
この近辺ではよく見かける姿形。
でもね、ここのって、口が赤く塗られてるんだよね、それが不思議で。
もう一つは、これわざとそれぞれ外向きに置いたんだけど、普通と雌雄の位置が逆のような気がするのよ。

この神社の解説ね。



重文とかがあるってことだから、いかに由緒正しくてそれがもてるくらい裕福な神社だったってことがわかるよね。


境内の中にある碑。
文化財の宝庫、って読めばいいと思うんだけど?

境内の中にも説明文があったけど、読み辛いから載せなかった。
そこには、東常緑が宗祇を連れてきて参拝したとされてた。
東常緑とは、東殿山城の城主東氏の一族で、郡上八幡を治めていて。そして都でも名の知れたそりゃ当時すごい歌人だったようで。
そのあたりはここを見て。



宗祇は宗祇水で聞きなじみがあると思うけど、室町時代の連歌師。
宗祇水も常緑が呼び寄せたことに関連するかも知れないよね。
あと大和町の古今伝授の里も、ここいらに関連するそうで。
その二人が訪れた時の歌がこれだそうで。



教養のない私には、それがどうしたのって感じでしかないけど、城主の東氏にも保護されてたとなるとそりゃ裕福だわな。

あとこんな碑もあったけど、何のこっちゃわからない。



そうそう、猿丸大夫の歌の碑もあったわ。


なんだか、和歌の勉強してるようだったわ(笑)。

そんなとこを見終わってこんな参道を車まで戻っていった。



思わずゾクゾクってするくらい、いい感じだと思わない?

そして最初は気付かなかったんだけど、車の横にこんな看板が立っていた。


これみてると、何やら遊歩道がある感じやん。
これは是非歩かなきゃって思ってしまったよ。
夏の暑い盛りに山に登れない時とか、半日時間が出来た時に、是非散策しようと思ったわ。

一人じゃつまらんから、誰か付き合ってよ。

これで新宮神社はお終い。
そうなったら、六社目になる本宮神社を探さなきゃってことで、それはまた明日。

2011/08/03

高賀六社巡り5

気持ちよく汗かいて東殿山を降りてきて、思いの他時間が経過してるからそのままお昼食べにラーメン屋さんへ。
ここを通る度に気になってたベトコンラーメンの店に行ったんだわ。
若い頃、前の会社の頃は、飲むと間違いなく長良橋北詰のベトコンラーメンの店に行ってたけど、ここは辛いだけ。
体力消耗したからニンニクもいいなってことで、ベトコンラーメンを注文して。
ビール飲みたかったけど、ぐっと我慢して。
そりゃ美味かったよ、ラーメン。
ニンニクも鷹の爪も少ししか入ってなかったけど、スープにコクがあって。

そして食べ終えて向かった先は、城趾巡りでなくて六社巡りの最終回。

まず寄ったのが那比新宮神社。
これはナビにも出るくらいの神社だった。
国道から離れて山道を登ること数分、着いたのはこんな感じの神社。

















見るからに立派な神社だね。
鳥居も新しそうだし。

車止めたとこには、こんな見慣れた看板があったし。





















私にしては五社めの神社。
うん、いい感じ(笑)。

鳥居をくぐると、こんな立派な杉が出迎えてくれた。
そのまま参道をあるくと、社殿が見えてきた。
その裏には、立派な本殿が控えてたし。


ね、立派でしょ、こんな山奥の社にしては。
説明書きにもあったけど、この神社は結構裕福だったそうで、その名残なんだろうね。
そりゃ維持管理も大変だろうけど、それ以上に厳かないい神社だった。

明日に続く…。


美濃の花火

おかしいよね、同じ中日新聞主催なのに、岐阜の花火は今年は中止だし。
でも、美濃の花火は開催するなんて。
てなことで、例年通り8/1は美濃の花火なんで、写真を撮りに寄ってみた。

つくづく自分でバカな事やってるなって思ったのね。
と言うのは、花火を鳥瞰で撮りたいなって思ったからなんだけど、曽代のグランドが目の高さだから、それより高けりゃいいでしょってことで、真っ暗な山道を登って、古城山の中腹にある東屋まで行ったのよ。
そりゃね、道は真っ暗だし、私は熊よりマムシの方が怖いから、ヘッドライトで足下を照しひたすら凝視しながら登って行った。
もちろん、汗ダクダク。
多少蚊にボコボコにされても良しって思ってたんだよ。

まだ始まる前に着いて、セッティングを始めて。

三脚は乗鞍用に買った携帯用のそこそこのもの。
と言うのは、いつも使う頑丈なものの雲台のアタッチメントが紛失してて使えないからやむを得ず、ってことで。
それが最初の間違いだった。
一眼に300ミリの望遠を付けた重さに耐えられなくて、すごく不安定だったし、足が短くて手すりをレンズが越えなかったのよ。
そして、最初の花火でピントを合わせて、待ちピンで撮るようにしてた。

その前に、始まる前の美濃の夜景はこんな感じ。















そして、まず撮ってみた。
















三脚が安定してないから、どうしてもブレる。
それにピントも合ってないし。

ここから先は失敗作のオンパレードよ。











































あまり山中でライトを照してると不審者と思われて警察でも来ると厄介だから、カメラの設定もあまり触れなくて。

それにしても、最大の失敗は、レリーズを忘れたこと。
このレリーズ、シャッター速度を触るよりも、任意にシャッター開いたままにしておけるから、それだったらもっと奇麗に撮れただろうから。
何れにしても、こわごわ真っ黒な山道を往復した甲斐のない結果になってしまって、よけいにバカなことしてるなと落ち込むことになったんだよね。
それにしても、いろいろ自分の中でわかったことがあるから、次は奇麗に撮れるように思えるから。
はてさて、リベンジはいつ出来るかな?

2011/08/01

東殿山 3

城趾には着いたけど、ここはまだ山頂でないから。
しばらく休憩して、そして頂上目指して歩き出した。
分岐点について左の乙姫方面に登って行った。

その分岐点から、対立する遠藤氏がたてた八幡城が見えた。


















この家の争いが、結局郡上の未来を決めていったんだなって思いながら歩みを進めていった。
その先は、結構険しくて、途中にはこんなとこもあったよ。

















鎖場。
アルプスなら普通の風景なんだろうけど、こんな里山で仰々しいって思いながらも、そこを通りすぎて。
ふと見あえげるとこんな風景。





これなら石垣を組まなくても、立派な防御壁になるよな。
だから、いよいよこの上は城趾に間違いないって思えたわ。

そう思いながら歩をすすめていくと、こんないいところに出くわした。



これだったら安全だよね。
でも木だから腐ってるといけないんで、そんなことを考えながら歩かしてもらったわ。

そして城趾から10分くらいで頂上に着けた。


標高としては知れてるけど、そこまでの道はコウヤマキの落ち葉がふわふわのとっても気持ちのいい道だったし。

ここには、こんなのがあったけど、全く役にたたなかったし。


何故って、全くガスってて見えないもん。
その通りで、山頂できつく雨が降ってきたから、早々に退散したんだわ。

ここで迷った。
乙姫方面に下るべきか、今来た道を下るべきか。
天気さえよかったら、間違いなく乙姫方面に行ってただろうけど、雨がそうはさせてくれなかった。
だから、僕はそのまま着た道を戻っていったんだよね。
山頂まで1時間強、下山50分って感じだった。