2018/05/30
思うこと
連休の頃ニュースで話題になっていた、新潟県での親子遭難事故。
やっと見つかったもようで。
記事
山に登る者としては、痛ましい事故だからずっと気にしてた。メディアは遭難した時は騒ぐけど、その後どうなったのかの説明はほとんどないと言っていい。身近なところでは、石徹白の野伏ヶ岳で東京だったかの人が行方不明になったけど、見つかったのかどうかすらわからない。
父親が山屋でないから知識と経験がなかったってことになるんだけど、僕ならどうしたかな?
山で迷うと地理不安の場合、どうしても下りてしまう。これは人間の心理。それも枯れ谷を下りる傾向にある。それは枯れ谷とは言え、谷だから木々が生えないから。つまり歩きやすいため。そうすると、滝とかに出てしまい最悪滑落する危険が増し戻るにも戻れなくなる場合もある。
今回は折り重なるように見つかったようだから、滑落ではないんだろうが、もともと日帰り予定だから食料も余計に持ってないし疲労と低体温症だと推測する。
この痛ましい事故を教訓にして、山に真摯に向き合いたいと改めて思ったしだいである。
山で迷ったら、まずは戻ること。あと地図とコンパスは必携だということだな。
やっと見つかったもようで。
記事
山に登る者としては、痛ましい事故だからずっと気にしてた。メディアは遭難した時は騒ぐけど、その後どうなったのかの説明はほとんどないと言っていい。身近なところでは、石徹白の野伏ヶ岳で東京だったかの人が行方不明になったけど、見つかったのかどうかすらわからない。
父親が山屋でないから知識と経験がなかったってことになるんだけど、僕ならどうしたかな?
山で迷うと地理不安の場合、どうしても下りてしまう。これは人間の心理。それも枯れ谷を下りる傾向にある。それは枯れ谷とは言え、谷だから木々が生えないから。つまり歩きやすいため。そうすると、滝とかに出てしまい最悪滑落する危険が増し戻るにも戻れなくなる場合もある。
今回は折り重なるように見つかったようだから、滑落ではないんだろうが、もともと日帰り予定だから食料も余計に持ってないし疲労と低体温症だと推測する。
この痛ましい事故を教訓にして、山に真摯に向き合いたいと改めて思ったしだいである。
山で迷ったら、まずは戻ること。あと地図とコンパスは必携だということだな。
2018/05/28
2018/05/27
せきサイクル・ツーリング 6
さ、道の駅が最後のチェックポイントだから、あとはゴールの温泉まで。
朝車で通った道なんだけど、なんて思いながらゆっくり走ります。制限時間は3時、今11時過ぎだから問題ないよな、てなこと思いながらね。
ペダルを漕いでいればいずれは着くんだね。
温泉の駐車場までの激坂がきつかったけど、何とか着いたよ。
こうやって係の人に出迎えられながらたどりついて。
最後のチェックをして参加賞もらって終了。
とは言え、駐車場まで3キロ強を戻らなきゃね。
朝走ったコースを戻っていったんだけど、40キロプラス7キロ程走ったかな。
温泉入っても良かったんだけど、面倒だったから家まで大急ぎで戻ってビール飲んで寝たよ。そのくらい疲れてたわ。
でも、秋の板取川にもエントリー予定。
エントリー出来たら、次もショートの51キロだね。
僕はMTBだから、やっぱりきついよ。
てなこと考えると、ロードバイクが欲しくなるんだよね。
だれか買ってくれないかな…?
朝車で通った道なんだけど、なんて思いながらゆっくり走ります。制限時間は3時、今11時過ぎだから問題ないよな、てなこと思いながらね。
ペダルを漕いでいればいずれは着くんだね。
温泉の駐車場までの激坂がきつかったけど、何とか着いたよ。
こうやって係の人に出迎えられながらたどりついて。
最後のチェックをして参加賞もらって終了。
とは言え、駐車場まで3キロ強を戻らなきゃね。
朝走ったコースを戻っていったんだけど、40キロプラス7キロ程走ったかな。
温泉入っても良かったんだけど、面倒だったから家まで大急ぎで戻ってビール飲んで寝たよ。そのくらい疲れてたわ。
でも、秋の板取川にもエントリー予定。
エントリー出来たら、次もショートの51キロだね。
僕はMTBだから、やっぱりきついよ。
てなこと考えると、ロードバイクが欲しくなるんだよね。
だれか買ってくれないかな…?
2018/05/26
2018/05/25
2018/05/24
せきサイクル・ツーリング 3
どうも昨今寝落ちてしまって、更新が出来ない。
今日は頑張る!
スタートして、県道を走ります。
こうやって一列でね。
前を走るおねえちゃんの尻でも眺めて走ろう!って思って漕ぐけど、早くてそのまま離されてしまったよ。
10キロほど走って第一チェックポイント、行合公園に到着。
ここでチェックしてもらって、飲み物をいただきます。
ベンチに腰掛けて飲みながら、高校の時の彼女がこの辺の出身だったなって思いだしてた。
そして、コースに戻り上之保生涯学習センターへ向かいます。ここからは坂を下るコースだったから、比較的楽に到着したね。
そこで、
これをいただいて座って喉を潤します。
ゆず羊羹は翌日会社で食べたわ…(笑)。
まだ半分も走ってないし。
身体がだるかったな、足は大丈夫だったけど。
今日は頑張る!
スタートして、県道を走ります。
こうやって一列でね。
前を走るおねえちゃんの尻でも眺めて走ろう!って思って漕ぐけど、早くてそのまま離されてしまったよ。
10キロほど走って第一チェックポイント、行合公園に到着。
ここでチェックしてもらって、飲み物をいただきます。
ベンチに腰掛けて飲みながら、高校の時の彼女がこの辺の出身だったなって思いだしてた。
そして、コースに戻り上之保生涯学習センターへ向かいます。ここからは坂を下るコースだったから、比較的楽に到着したね。
そこで、
これをいただいて座って喉を潤します。
ゆず羊羹は翌日会社で食べたわ…(笑)。
まだ半分も走ってないし。
身体がだるかったな、足は大丈夫だったけど。
2018/05/22
2018/05/20
2018/05/19
岩訓練
今日は今年の夏合宿に備えて岩訓練に。
2年程前にも行ったけど、芥見の権現山で岩訓練。
8時前にはゲレンデに着いて早速訓練。
と言っても、このルートの一番ハードな権現槍の辺りをザイルを使って懸垂下降するだけのこと。
前にやってるからわかってるし、師匠の後2番目に降りて行ったよ。
でも、初めての人もいて、初めてだとこわごわってわかるから、ちょっとハードルが高いかなって思ってた。
彼女本当に初めてだったから、最初は見てる方が恐かったけど、2度目にはすんなり降りれてたね。
適応力がすごいよ。若いっていいね。
このルートを降りたり、登坂機を使って登ったり楽しく過ごしたよ。
正直、こんなことそれを目的にしたクライミングでなきゃすることはないし、うちの会はそれはしないけどね、でも、岩場の山に登るという岩に慣れるには必要なんだろうね。
楽しく過せたよ。
2年程前にも行ったけど、芥見の権現山で岩訓練。
8時前にはゲレンデに着いて早速訓練。
と言っても、このルートの一番ハードな権現槍の辺りをザイルを使って懸垂下降するだけのこと。
前にやってるからわかってるし、師匠の後2番目に降りて行ったよ。
でも、初めての人もいて、初めてだとこわごわってわかるから、ちょっとハードルが高いかなって思ってた。
彼女本当に初めてだったから、最初は見てる方が恐かったけど、2度目にはすんなり降りれてたね。
適応力がすごいよ。若いっていいね。
このルートを降りたり、登坂機を使って登ったり楽しく過ごしたよ。
正直、こんなことそれを目的にしたクライミングでなきゃすることはないし、うちの会はそれはしないけどね、でも、岩場の山に登るという岩に慣れるには必要なんだろうね。
楽しく過せたよ。
2018/05/18
国見岳 最後
禿山で昼食をとって、そのまま下山。
帰りも目的の花を探したんだけど、なかったな。
今年は花が早いから期待してたんだけど。
失意のまま下山すると、また来なきゃいけないから、前に寄らなかった教如上人の岩屋へ寄り道。
途中踏み後が薄い所があったけど、なんとか到着。
岩屋の奥には祠があっただけだったな。
教如上人とは、
永禄元年9月16日(1558年10月27日[2])、顕如の長男として誕生。永禄13年(1570年)2月、父・顕如のもと13歳で得度。
元亀元年9月12日(1570年10月11日)、織田信長との間で石山合戦が始まる。父・顕如を助けて信長と徹底抗戦する。元亀2年(1571年)6月、朝倉義景の娘である三位殿と婚約。
天正8年(1580年)3月、顕如は正親町天皇の勅使・近衛前久の仲介による講和を受け入れ、石山本願寺から紀伊国鷺森(和歌山県和歌山市)へ退去する。しかし教如は徹底抗戦を主張する。そのため顕如は、教如を義絶[7]する。その後も教如は石山本願寺に籠城する(大坂拘様)が、8月2日、近衛前久の説得に応じ、信長に石山本願寺を明け渡す[8]。 その直後に、石山本願寺は失火により炎上し灰燼に帰した。
と言うように、親鸞上人の浄土真宗が西と東に別れる事になった張本人。
関ヶ原の前に三成に止められたにも係わらず東国へ出向き、追われる身になっていて、美濃まで戻った時にどうしようもなく安八の住民に助けられ、この岩屋に身を隠していたそうな。ちょうどその頃関ヶ原で破れた追う立場の三成は反対側の洞穴に逃げ隠れていたという、まさに背中合わせの運命をたどったようで。
これをみて、少し予定より遅れたけど無事下山した。
そう言えば、国見峠に着いたとたんに、車のナビが「滋賀県に入りました」って言ってたわ。
この日の山行は岐阜と滋賀の県境尾根を歩いた事になるね。
帰りも目的の花を探したんだけど、なかったな。
今年は花が早いから期待してたんだけど。
失意のまま下山すると、また来なきゃいけないから、前に寄らなかった教如上人の岩屋へ寄り道。
途中踏み後が薄い所があったけど、なんとか到着。
岩屋の奥には祠があっただけだったな。
教如上人とは、
永禄元年9月16日(1558年10月27日[2])、顕如の長男として誕生。永禄13年(1570年)2月、父・顕如のもと13歳で得度。
元亀元年9月12日(1570年10月11日)、織田信長との間で石山合戦が始まる。父・顕如を助けて信長と徹底抗戦する。元亀2年(1571年)6月、朝倉義景の娘である三位殿と婚約。
天正8年(1580年)3月、顕如は正親町天皇の勅使・近衛前久の仲介による講和を受け入れ、石山本願寺から紀伊国鷺森(和歌山県和歌山市)へ退去する。しかし教如は徹底抗戦を主張する。そのため顕如は、教如を義絶[7]する。その後も教如は石山本願寺に籠城する(大坂拘様)が、8月2日、近衛前久の説得に応じ、信長に石山本願寺を明け渡す[8]。 その直後に、石山本願寺は失火により炎上し灰燼に帰した。
と言うように、親鸞上人の浄土真宗が西と東に別れる事になった張本人。
関ヶ原の前に三成に止められたにも係わらず東国へ出向き、追われる身になっていて、美濃まで戻った時にどうしようもなく安八の住民に助けられ、この岩屋に身を隠していたそうな。ちょうどその頃関ヶ原で破れた追う立場の三成は反対側の洞穴に逃げ隠れていたという、まさに背中合わせの運命をたどったようで。
これをみて、少し予定より遅れたけど無事下山した。
そう言えば、国見峠に着いたとたんに、車のナビが「滋賀県に入りました」って言ってたわ。
この日の山行は岐阜と滋賀の県境尾根を歩いた事になるね。
2018/05/17
2018/05/16
2018/05/14
2018/05/13
2018/05/11
2018/05/10
2018/05/09
ウォーキング お終い
昨日は夕ご飯食べて寝落ちたよ。疲れが取れないだよね、歳だな。
でも、このキャンプ地いいでしょ。一刀斎さんなら気に入ると思ったよ。だから、僕がキャンプして報告するよ(笑)。
この油阪桜パークが折り返し点だから、あとは降りていくだけ。道は少し違ったけど。
でも、ここ僕が初めてスキーをした思いでの地になるね。
そう思いながら下り続けると、ループの下を通り、街に入り出発点の白鳥駅に。
ちょうど長鉄のながらが出発するところだったから撮鉄に。
今も予約がとれないようだけど、美味しいもの食べれるのかしら?
このミニチュア版が出来てるから、そっちでもいいから乗ろうかな?
最後の挨拶を聞きながらスマフォを確認。
本日の歩行距離13キロ、24000歩だったね。
歩いた歩いた、足首が痛くなったけど、気持ちよくて良かったね。
また参加しなきゃ。
次は来月ひるがの高原を歩くよ。
でも、このキャンプ地いいでしょ。一刀斎さんなら気に入ると思ったよ。だから、僕がキャンプして報告するよ(笑)。
この油阪桜パークが折り返し点だから、あとは降りていくだけ。道は少し違ったけど。
でも、ここ僕が初めてスキーをした思いでの地になるね。
そう思いながら下り続けると、ループの下を通り、街に入り出発点の白鳥駅に。
ちょうど長鉄のながらが出発するところだったから撮鉄に。
今も予約がとれないようだけど、美味しいもの食べれるのかしら?
このミニチュア版が出来てるから、そっちでもいいから乗ろうかな?
最後の挨拶を聞きながらスマフォを確認。
本日の歩行距離13キロ、24000歩だったね。
歩いた歩いた、足首が痛くなったけど、気持ちよくて良かったね。
また参加しなきゃ。
次は来月ひるがの高原を歩くよ。
2018/05/07
2018/05/06
2018/05/05
2018/05/04
2018/05/03
2018/05/02
2018/05/01
ウォーキング2
体操をして、皆で歩き始めます。
歩くのは嫌いではないけど、アスファルトの道はダメだね。
そう思ってると、最初の地点神明神社に到着です。
この神社、昔は下にあったそうなんだけど、洪水で流されてやむなくここの高台に移されたんだとか。
岐阜の神社庁の説明にもそう書かれていた。
入り口に同じく移設された石碑が。
右八幡、中白鳥、左越前だったかな?
要するに、郡上街道とこれから歩く越前街道の分岐にあったってことだわ。
そして、社殿。
正直立派な神社だよ。
不思議なのは、この長滝神社の近くで白山神社でないってこと。
この地であるなら、泰澄さんの歩いた路なんだろうし、白山神社でもいいような気がするんだけど。
何分、洪水で流されてるから、何も記録が残っていないのが致命的だわ。
歩くのは嫌いではないけど、アスファルトの道はダメだね。
そう思ってると、最初の地点神明神社に到着です。
この神社、昔は下にあったそうなんだけど、洪水で流されてやむなくここの高台に移されたんだとか。
岐阜の神社庁の説明にもそう書かれていた。
入り口に同じく移設された石碑が。
右八幡、中白鳥、左越前だったかな?
要するに、郡上街道とこれから歩く越前街道の分岐にあったってことだわ。
そして、社殿。
正直立派な神社だよ。
不思議なのは、この長滝神社の近くで白山神社でないってこと。
この地であるなら、泰澄さんの歩いた路なんだろうし、白山神社でもいいような気がするんだけど。
何分、洪水で流されてるから、何も記録が残っていないのが致命的だわ。
登録:
投稿 (Atom)